・東方の博士たち
ヘロデ王の時代に東方の博士たちがエルサレムにやってきたことが記されています。この博士たちは、マゴス、マギなどと呼ばれた学者たちで、占星術と古今東西の学問に通じた人々でした。しかし彼はそれらに真理はない事を悟り、ユダヤの預言を探り求めました。そのときに、ユダヤ人の王キリストの誕生を知らせる星を見つけたのです。聖霊は真摯に求道する者たちにあらゆる方法を通して導きを与えるのです。
・「ユダヤの地、ベツレヘム」
博士たちの来訪に、ヘロデ王と人々は「恐れ惑った」とあります。彼らは虚しい栄光に甘んじて、真実の変革を嫌っていたのです。
しかしヘロデ王の元に集まった祭司長らは旧約預言からキリスト誕生は「ユダの地、ベツレヘム 」と特定します。そのみ言葉に従った時、博士たちは例の星によって「幼子」の元に導かれています。
・博士たちの礼拝
博士たちは「母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ」とあります。彼らは富と地位を持つ誇り高き人々でしたが、幼子をキリストと信じて礼拝したのです。
「宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」。礼拝は心と態度だけではなく、捧げものを通して真実となります。礼拝(worship)とは「価値がある(worth) 状態(ship)と辞書にあります。彼らの礼拝こそキリストに捧げるにふさわしいworshipです。
2021/12/19 マタイ福音書2:1~12 博士たちの礼拝
2020/4/5 マタイ27:45~54 エリ エリ レマ サバクタニ
・十字架と暗闇
主イエスは弟子たちに捨てられ、ユダヤ人に捨てられ、ローマ総督のもとで十字架刑に処せられました。その時「全地が暗くなって三時まで続いた」とあります。暗闇は天体や気象現象というよりも霊的な現象で、旧約預言者らによって預言されていた「終わりの日」の出来事です。神が罪に対する怒りを公然と現された現象です。しかしここでは、神の子イエスに神の怒りがくだされています。
・エリ エリ レマ サバクタニ
「エリ エリ レマ サバクタニ」とは詩篇22篇にあるキリスト預言の言葉です。主イエスは予言の成就として叫んだのですが、同時に彼自身の嘆きと苦しみの表出でした。「エリ]とは「私の神」、「レマ サバクタニ」とは「どうして私を見捨てたのですか」という意味です。父の神は永遠の愛でイエスを愛していたのですが、ここでは怒りによって彼を「見捨て」ています。神の子だけが知る永遠の絶望と悲しみです。
・なだめ
イエスの十字架は一般的に罪の贖いであるとしますが、その本質は「なだめ」です。単に法的な身代わりの死というだけではなく、苦しみが伴うのです。この受難週、「私]のための贖いとなだめの尊さを覚えるようにいたしましょう。
主イエスは弟子たちに捨てられ、ユダヤ人に捨てられ、ローマ総督のもとで十字架刑に処せられました。その時「全地が暗くなって三時まで続いた」とあります。暗闇は天体や気象現象というよりも霊的な現象で、旧約預言者らによって預言されていた「終わりの日」の出来事です。神が罪に対する怒りを公然と現された現象です。しかしここでは、神の子イエスに神の怒りがくだされています。
・エリ エリ レマ サバクタニ
「エリ エリ レマ サバクタニ」とは詩篇22篇にあるキリスト預言の言葉です。主イエスは予言の成就として叫んだのですが、同時に彼自身の嘆きと苦しみの表出でした。「エリ]とは「私の神」、「レマ サバクタニ」とは「どうして私を見捨てたのですか」という意味です。父の神は永遠の愛でイエスを愛していたのですが、ここでは怒りによって彼を「見捨て」ています。神の子だけが知る永遠の絶望と悲しみです。
・なだめ
イエスの十字架は一般的に罪の贖いであるとしますが、その本質は「なだめ」です。単に法的な身代わりの死というだけではなく、苦しみが伴うのです。この受難週、「私]のための贖いとなだめの尊さを覚えるようにいたしましょう。
2018/12/23 マタイ2:1~12 ベツレヘムの星
・東方の博士たち
ヘロデ大王の時代は表面的には壮大な建造物によって華やかさがありましたが、霊的には闇の時代でした。彼は猜疑心が強く、政治は歪んでいました。ユダヤの宗教的リーダーたちもまた、保身のために形骸した伝統を守るだけでした。
この時代にキリストが誕生しましたが、その誕生を知ったのは、ユダヤから遙か東方の博士たちだけでした。彼らは自分たちが、闇の中にあることに気づいて、求道していました。そこに、神によって救いの光が照らされたのです。
・ベツレヘムの星
「私たちは、東のほうでその方の星を見た」とあります。「星」については、様々な説がありますが、神が彼らの求道心に特別な輝きとして示された星であったことは確かです。そして、その星を「ユダヤ人の王」誕生を告げる星と理解し、その星に導かれてエルサレムに来訪しました。
パスカルは、次のように語っています。「神から心情の直感を通して宗教を与えられた人は幸福である」と。彼らはそのような人々でした。
・博士たちの礼拝
博士たちは、ベツレヘムが誕生の地であることを知らされ、ついに「母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」とあります。肉眼では、普通の幼子でしたが、彼らは幼子の内にも神の光を見たのです。
「…宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」と、彼らの信仰告白と献身の姿が示されています。そこにクリスマスの礼拝者の姿が明瞭に現されています。
2015/12/13 マタイ福音書1:18~25 処女懐胎とインマヌエル
・ヨセフの迷いと御告げ
ヨセフは許嫁のマリヤが身重になったため内密に去らせようと決めたのですが、なお、不可解な出来事のゆえ迷いの中にありました。
そして、彼が夢の中にあるときに、御使いが現れてマリヤが身重になったのは「聖霊による」と語り、さらに「恐れないで…妻マリヤを迎えなさい」と語ります。
・「聖霊による」処女懐胎
聖霊によって処女のままで懐胎することは奇跡ですが、そこには二つの意味があります。1つは神が完全な神の聖さを保ったままで、地上に生まれたということ。
1つは女の胎を借りて、血肉を持つ完全な人間として産まれたということです。アダムの罪は持ちませんが、人間として弱さを知り、痛み苦しみを知る存在でした。そのようにして、神と人間の仲介者、贖罪者となりうるのです。
・インマヌエル
この出来事はイザヤ7:14の預言の成就でした。「…その名はインマヌエル」、意味は「神は私たちとともにおられる」です。これは旧約以来の理想で、神がどのようなときにも民を守り、救い、幸いに導くということです。しかし、その理想は、人間の罪ゆえに、実現できませんでした。ただ神であり、人である「お方」だけが、インマヌエルとなり得るのです。
しかしながら、彼を受け取るためには、躓きを克服する必要がありました。それはマリヤの「聖霊による」処女懐胎を信じ受け入れることです。
ヨセフは御告げを信じて、マリヤと共にインマヌエルを受け入れましたが、私たちも同じように信じて、心から受け入れるべきです。
2015/4/5 マタイ福音書28:1~20 ガリラヤに行って
・イエスの復活
週の初めにマリヤたちが墓を見に行きました。彼女たちは主イエスの復活について聞いていましたが、しっかりとした信仰がなかったので、悲しみと絶望の中にありました。しかし、大きな地震が起って墓石が転がり、主の使いが降りてきました。また「ここにはおられません…よみがえられた」との言葉を聞いたときに、彼女たちの心は一転しました。
・ガリラヤに行って
また主の使いは「ガリラヤに行って」会うようにと促します。ガリラヤはユダヤ地方から離れていて、祭司長らの脅威が少ないという理由と共に、イエスの復活を信じて行動するように命令したのです。女たちは早速、弟子たちに伝え、弟子たちは、イエスの指示したガリラヤの山に行ったときに、イエスに会い、礼拝します。イエスとの出会いの場は、復活の生命が満ちた世界でした。
・行って
最後にも「行って」とあります。主イエスは信仰と共に、常に行動を求めます。信じて行うときに、そこに主イエスの臨在と復活の生命が現れるからです。
私たちは、この世の厳しい現実の中で心を痛めたり、絶望感に浸っていることがあります。しかし主イエスと出会い、復活の生命に満たされるためには、とにかくキリストの約束を信じて「行く」ことが大切です。まずは礼拝に行くことです。そこで主イエスは、私たちと出会うよう待っておられるのです。
2015/3/29 マタイ福音書27:11~46 十字架上の王
・十字架上の王
主イエスは旧約聖書で預言されたキリスト、すなわちダビデの子孫、神の子として到来しました。それは神の栄光に包まれた王、すべてを支配する王ということでした。しかし、実際の姿は「苦難のしもべ」「十字架にかけられた王」でした。それは人の罪のゆえです。
・十字架に追いやる人々
ユダヤ人の祭司長と長老たちはねたみから主イエスを退け、総督ピラトに告訴しました。また「十字架につけろ」と激しい憎しみの思いを顕わにして、極刑を求めます。それは律法によれば神に呪われた者として死ぬということです。
総督の兵士は、主イエスを案山子のように人格を無視して、からかい、乱暴しています。「着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。…いばらで冠を…頭にかぶらせ」 「イエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。」
・十字架で捨てられ
主イエスは一切の罪によって十字架に追いやられますが、神はその罪を彼に担わせ、地から捨て去ります。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ 」とは、神に捨てられ者の叫びです。
「彼の打ち傷によって私たちはいやされた」とありますが、私たちの罪も彼が担い、彼が取り去ったのです。私たちが彼に報いる術は、ただ悔い改めて、贖いを心から受け入れることです。
2014・12・21 マタイ福音書2:1~12 東方の博士たち
・闇の時代に
ヘロデ大王の晩年は正しく闇の時代でした。その闇は政治的にも道徳的にも、霊的にも及んでいました。たとえば大王は猜疑心から自分の息子まで殺す男でした。またユダヤ人同士でも陰謀が絶えませんでした。
この時代に神の子キリストは誕生したのですが、その有様はひっそりとしたものであり、世の中の現象ばかりに目を奪われている人々は、全く気がつきませんでした。
・東方の博士たち
しかし、ユダヤから遙か東方で、キリスト誕生の予兆を知る人々がいました。彼らは自分たちの文化には救いがないことを悟っており、ユダヤの預言書に救いを求めていました。その求道心を顧みて、神は彼らにキリストの光を夜空に照らしたのです。
・博士たちの礼拝
彼らははるばる東方から星の光を頼りにユダヤにやってきました。そして神の導きによりついに幼子キリストを見いだしました。
彼らは預言のことばと星の光から、幼子がキリストであると知り、また信じることができました。そして「ひれ伏して」礼拝をささげたのです。
・礼拝の心
「そして、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」 とあります。黄金は王者のしるし、乳香は神のしるし、没薬は贖い主のしるしです。彼らの礼拝とささげ物によって、精一杯、彼らは幼子がキリストであることを告白し、またその恵みを存分に受け取ったのです。
2013/3/31 マタイ28:1~20 ガリラヤでの出会い
・朝の出来事
週の初めの朝、女たちが墓に行ってみると石が脇に転がっており、御使いが彼女らにイエス様は「ここにおられません。…よみがえらえた」と告げました。
確かに復活した主イエスを墓の中に探しに行くのはナンセンスです。すでに復活して、新しい世界に弟子たちを招いているのです。
・ガリラヤでの出会い
御使いは「イエスが…ガリラヤにいかれ、あなたがたは、そこでお会いできる」と告げました。 主イエスと出会うためには、約束の言葉を信じて、そこに行くことです。女たちは弟子たちに告げ、弟子たちはその約束を信じてガリラヤに行き、示された山で主イエスに出会いました。そこで彼らは礼拝し、目と心で復活の主を知りました。
・私たちと共に
主イエスは彼らに対して、主イエスの弟子として留まること、新たに弟子を作るようにと命令します。さらに「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と約束されます。
私たちにとっての「ガリラヤ」は毎週の礼拝と2人3人主イエスの名によって集まる場所です。ここに、主イエスは臨在され、いつも復活の生命を注いでくださるのです。
週の初めの朝、女たちが墓に行ってみると石が脇に転がっており、御使いが彼女らにイエス様は「ここにおられません。…よみがえらえた」と告げました。
確かに復活した主イエスを墓の中に探しに行くのはナンセンスです。すでに復活して、新しい世界に弟子たちを招いているのです。
・ガリラヤでの出会い
御使いは「イエスが…ガリラヤにいかれ、あなたがたは、そこでお会いできる」と告げました。 主イエスと出会うためには、約束の言葉を信じて、そこに行くことです。女たちは弟子たちに告げ、弟子たちはその約束を信じてガリラヤに行き、示された山で主イエスに出会いました。そこで彼らは礼拝し、目と心で復活の主を知りました。
・私たちと共に
主イエスは彼らに対して、主イエスの弟子として留まること、新たに弟子を作るようにと命令します。さらに「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と約束されます。
私たちにとっての「ガリラヤ」は毎週の礼拝と2人3人主イエスの名によって集まる場所です。ここに、主イエスは臨在され、いつも復活の生命を注いでくださるのです。
2011/12/18 マタイ1:18~25 インマヌエルの扉
・開かずの扉
旧約の預言者たちは、終わりの日にインマヌエルが到来すると預言をしました。しかしその実体は不明瞭で人々にとって閉ざされた扉のようでした。
このことはヨセフにとっても全く同様で、マリヤに起こった出来事を知っても、躓いたままで、マリヤを「内密に去らせ」、離縁しようと考えたのです。
・思い巡らし
「彼が…思い巡らしていたとき」とあります。彼は敬虔な人であったので、神の恵みと力、様々な預言者たちの言葉について、またマリヤとその言葉について思い巡らしたでしょう。その思い巡らしの中で、神の不思議の実体が少しずつ明かにかなるのです。
多くの信仰者たちも「思い巡らし」によって、処女降誕に秘められた救いの世界を再発見しました。
・鍵
ヨセフが最終的に鍵をを見いだしたのは神の啓示によります。御使いが明瞭に不思議の実体を示したのです。「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊による」と。またイザヤ7:14のインマヌエル預言が示されます。彼が閉ざされた扉を開く鍵は、神と奇跡的預言をそのまま信じることでした。
・インマヌエルの扉
ヨセフは「命じられたとおり」にしたとき、彼はマリヤと宿された幼子を自分のものとしたのです。それは同時に、旧約以来閉ざされた扉を開きインマヌエル(神は私たちとともに)世界に入ることになったのです。
旧約の預言者たちは、終わりの日にインマヌエルが到来すると預言をしました。しかしその実体は不明瞭で人々にとって閉ざされた扉のようでした。
このことはヨセフにとっても全く同様で、マリヤに起こった出来事を知っても、躓いたままで、マリヤを「内密に去らせ」、離縁しようと考えたのです。
・思い巡らし
「彼が…思い巡らしていたとき」とあります。彼は敬虔な人であったので、神の恵みと力、様々な預言者たちの言葉について、またマリヤとその言葉について思い巡らしたでしょう。その思い巡らしの中で、神の不思議の実体が少しずつ明かにかなるのです。
多くの信仰者たちも「思い巡らし」によって、処女降誕に秘められた救いの世界を再発見しました。
・鍵
ヨセフが最終的に鍵をを見いだしたのは神の啓示によります。御使いが明瞭に不思議の実体を示したのです。「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊による」と。またイザヤ7:14のインマヌエル預言が示されます。彼が閉ざされた扉を開く鍵は、神と奇跡的預言をそのまま信じることでした。
・インマヌエルの扉
ヨセフは「命じられたとおり」にしたとき、彼はマリヤと宿された幼子を自分のものとしたのです。それは同時に、旧約以来閉ざされた扉を開きインマヌエル(神は私たちとともに)世界に入ることになったのです。
2011/5/29 マタイ5:43~48 あなたの敵を愛しなさい
・隣人を愛し、敵を憎め
ユダヤ人は自分の家族、民族を隣人また仲間として愛しました。他方、異教徒や異民族を部外者また敵として憎み、憎むことで神に仕えていると考えていました。
これは私たちの社会にもある体質です。自分たちの枠外の人々を敵として憎んでもよし、軽蔑しても良いと考えるのです。そこでは様々な問題と人格の歪みが生じます。
・あなたの敵を愛しなさい
「自分の敵」とは、身内、仲間以外の人々のことです。あるいは自分の害となる人、不利益になる人、傷つけ迫害する者たちです。愛するとは人格と生活において有益となることを願うことです。「自分の敵を愛する」ということは、天の父の姿勢であり、それを実行して初めて私たちも神の子として新しい人となり、私たちの問題も解決するのです。
・愛のための戦い
1950年代のアメリカでは市バスなどでも厳然とした差別がありました。パークス夫人はそれに断固抗議して逮捕されたのがキッカケで、人種差別撤廃のため運動が起こりました。その運動を指導したのがキング牧師です。
彼らは「あなたの敵を愛しなさい」という聖句をテーマとして運動を進めました。決して暴力を用いず、憎まずをモットーとしました。また、新しいニガー(黒人)になり新しい社会を創るという信仰を持って戦ったのです。
ユダヤ人は自分の家族、民族を隣人また仲間として愛しました。他方、異教徒や異民族を部外者また敵として憎み、憎むことで神に仕えていると考えていました。
これは私たちの社会にもある体質です。自分たちの枠外の人々を敵として憎んでもよし、軽蔑しても良いと考えるのです。そこでは様々な問題と人格の歪みが生じます。
・あなたの敵を愛しなさい
「自分の敵」とは、身内、仲間以外の人々のことです。あるいは自分の害となる人、不利益になる人、傷つけ迫害する者たちです。愛するとは人格と生活において有益となることを願うことです。「自分の敵を愛する」ということは、天の父の姿勢であり、それを実行して初めて私たちも神の子として新しい人となり、私たちの問題も解決するのです。
・愛のための戦い
1950年代のアメリカでは市バスなどでも厳然とした差別がありました。パークス夫人はそれに断固抗議して逮捕されたのがキッカケで、人種差別撤廃のため運動が起こりました。その運動を指導したのがキング牧師です。
彼らは「あなたの敵を愛しなさい」という聖句をテーマとして運動を進めました。決して暴力を用いず、憎まずをモットーとしました。また、新しいニガー(黒人)になり新しい社会を創るという信仰を持って戦ったのです。
2011/1/2 地の塩 世の光 マタイ5:13~16
・塩気
塩とは岩塩のことで、塩気がぬければただの土の塊となります。キリスト者は、キリストの御言葉を聞き、信じることをとおしてキリストの生命と聖さを受けます。それが塩気です。
・地の塩として
地は、そのままでは腐敗が進む世界です。神信仰、親子関係、夫婦関係、すべての人間関係で腐敗が進み堕落し、関係が壊れていきます。
キリスト者はこの地上におかれていますが、それは塩気を発揮して腐敗を防ぐためです。
・光
光とは、暗やみの中でよく輝きます。ライトも暗やみを照らすために点灯されます。キリスト者は光であるといわれていますが、その光はただキリストとその御言葉をとおして受けます。信じて、告白して生きる中で光を外に輝かせることができます。
・世界の光として
私たちの時代はいよいよと暗くなり、人々は希望を見失う時代です。世界を闊歩するのは虚無、絶望、罪と死という時代になっていきます。
こうした時代に、キリスト者はキリストから受ける光を世界において輝かします。私たちは、自分が照らす使命のために先に救われたのだということをしっかりと自覚すべきです。
塩とは岩塩のことで、塩気がぬければただの土の塊となります。キリスト者は、キリストの御言葉を聞き、信じることをとおしてキリストの生命と聖さを受けます。それが塩気です。
・地の塩として
地は、そのままでは腐敗が進む世界です。神信仰、親子関係、夫婦関係、すべての人間関係で腐敗が進み堕落し、関係が壊れていきます。
キリスト者はこの地上におかれていますが、それは塩気を発揮して腐敗を防ぐためです。
・光
光とは、暗やみの中でよく輝きます。ライトも暗やみを照らすために点灯されます。キリスト者は光であるといわれていますが、その光はただキリストとその御言葉をとおして受けます。信じて、告白して生きる中で光を外に輝かせることができます。
・世界の光として
私たちの時代はいよいよと暗くなり、人々は希望を見失う時代です。世界を闊歩するのは虚無、絶望、罪と死という時代になっていきます。
こうした時代に、キリスト者はキリストから受ける光を世界において輝かします。私たちは、自分が照らす使命のために先に救われたのだということをしっかりと自覚すべきです。
2009/12/13 インマヌエル マタイ1:18~25

・キリスト預言と処女降誕
罪からの救済者として旧約聖書の時代を通してキリスト到来が預言されていました。預言者イザヤはキリストのしるしは「処女降誕」であるとしました。処女降誕は、色々な意味で人間にとっては躓きになります。神が人となる躓き、処女が子供を産むという躓きなどです。
マタイはこの躓きを取り払うかのようにアブラハムからキリストまでの系図の中に女性たちを紹介します。いずれも躓きをはらみながら神が「良し」とした女性たちです。
・ヨセフは信じ受け入れた
許嫁のマリヤが聖霊によって身重になったときに、ヨセフは「内密にさらせようと決め」ていました。しかし「主の使いが夢に現れて」、マリヤは聖霊によって子どもを宿していると知らされます。御使いは彼を「ダビデの子ヨセフ」と呼んだときに、彼はアブラハム・ダビデに対する約束を思いおこしたと思います。彼の子孫としてキリストが生まれると言うことです。彼は御言葉を信じマリヤをも受け入れました。それでキリストを持つことができたのです。
・インマヌエル
キリストの別名は「インマヌエル」です。「神は私たちとともにおられる」という意味です。この方が私たちの神となるためには、いつの時代にも躓きが伴います。
しかしいつの時代も同じです。ただ彼がインマヌエルで、私たちとともにあり、私たち祝福する方であると信じ続ける時、やがてその祝福は確かに私たちとともにあると気づくのです。
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