2015/12/13 マタイ福音書1:18~25 処女懐胎とインマヌエル



・ヨセフの迷いと御告げ
 ヨセフは許嫁のマリヤが身重になったため内密に去らせようと決めたのですが、なお、不可解な出来事のゆえ迷いの中にありました。
 そして、彼が夢の中にあるときに、御使いが現れてマリヤが身重になったのは「聖霊による」と語り、さらに「恐れないで…妻マリヤを迎えなさい」と語ります。

・「聖霊による」処女懐胎
 聖霊によって処女のままで懐胎することは奇跡ですが、そこには二つの意味があります。1つは神が完全な神の聖さを保ったままで、地上に生まれたということ。
 1つは女の胎を借りて、血肉を持つ完全な人間として産まれたということです。アダムの罪は持ちませんが、人間として弱さを知り、痛み苦しみを知る存在でした。そのようにして、神と人間の仲介者、贖罪者となりうるのです。

・インマヌエル
 この出来事はイザヤ7:14の預言の成就でした。「その名はインマヌエル」、意味は「神は私たちとともにおられるです。これは旧約以来の理想で、神がどのようなときにも民を守り、救い、幸いに導くということです。しかし、その理想は、人間の罪ゆえに、実現できませんでした。ただ神であり、人である「お方」だけが、インマヌエルとなり得るのです。
 しかしながら、彼を受け取るためには、躓きを克服する必要がありました。それはマリヤの「聖霊による」処女懐胎を信じ受け入れることです。

 ヨセフは御告げを信じて、マリヤと共にインマヌエルを受け入れましたが、私たちも同じように信じて、心から受け入れるべきです。