2010/10/3 ローマ2:17~29 心の割礼

・ユダヤ人の律法と割礼
 ユダヤ人は旧約の民です。彼らは律法を持ち割礼という肉の印をもつことを誇りとしていました。しかし、旧約は業の契約であり、民が律法を完全に守ることで有効となる契約です。もし、律法を破っているなら、契約が反古となり割礼も何の意味もなくなるのです。
 そしてユダヤ人の実態は、律法の言葉から遠く離れ、律法に違反しており、彼らが誇る肉の印も意味を持っていませんでした。

・旧約は新約のひな形(模型)
 本来、旧約はひな形(模型)であり、限界がある救いの契約です。ユダヤ人は旧約の中で限界を知り、よりすぐれた救いを求めるべきでした。事実、神は先に目に見える模型を示し、次に目に見えない本体を与えようとされていたのです。エレミヤ31:31~33に「新しい契約」とあるのがそれです。ところが、ユダヤ人は目に見える律法と割礼に執着していたのです。その結果、主イエスを十字架に付け、キリスト者を迫害していました。

・心の割礼
 新しい契約の印は「御霊による、心の割礼」です。それは目に見える印ではなく、心に刻まれる目に見えない印です。ここに模型と本体、旧約と新約の性格の違いが明瞭になります。
 私たちがキリストを信じたとき、新しい契約を結んだことになり、その結果、聖霊によって心の割礼を受けます。それは目に見るどのような印や誇りよりすぐれたもので、神の子としての印、祝福の基となります。
 私たちは見えることにとらわれる存在で、礼典、礼拝式、奉仕などを神の民の印としがちです。しかし本体は目に見えない心の印であることを忘れてはならないのです。

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