2010/09/5 ローマ1:21~32  神否定と腐敗 

・神否定の人々
神は被造物を通してご自分をはっきりと知らせているのに、多くの人は神の存在を否定しています。それは光を遮断することであり、その結果、人は「思いがむなしくなり・・・心は暗くなった」のです。
 それは生きる意味と目当てを見失うこと、全く的外れな考え方、生き方をするということです。さらに本来は、神に照らされて生きるべき心が光を失なって暗やみにさまようということです。

・偶像崇拝の罪
 人は価値を持って生きる存在ですが、真理の神を見失うときに、愚かな偶像を崇めるようになります。それは金や銀、鉄や銅の神々、木や石の神々です。また目に見える人を神のように敬ったり、愛おしんだりします。
 私たちの社会では死者が仏壇や神社で祭られ、死霊を崇拝しています。自分たちでは科学技術と経済で他民族よりもすぐれていると自負しながら「愚かな者」となっています。

・悪と腐敗
 「恥ずべき情欲」は当時の社会で広がっていた罪悪です。誰もが悪で倒錯であると思うことをしないではいられない惨めな状態です。これは神を認めないゆえ、神が悪の中に放置した結果です。
 また「むさぼり、妬み、悪意、殺意、高ぶり・・・」といった心の悪も、心が暗くなった結果、悪の中に放置された結果です。

・神に立ち返り礼拝すること
 神が願うことは、私たちが神のもとに立ち返ることです。悪に染まった私たちをも、神はあわれんで受け入れて下さいます。そして新しい神の生命に満たし、子どもとしての祝福をくださるのです。

0 件のコメント: