2019/1/27 使徒の働き20:13~27 ミレトの告別説教 その1 牧会姿勢


・ミレトまで
 パウロ一行はトロアスからエーゲ海に浮かぶ島々をくぐり抜けながら航行し、途中、ミレトに立ち寄ります。そこから、エペソ教会の長老たちを呼び出して、告別の説教をします。この長老たちは、パウロによって任命され、教会の責任と監督を任せられた人々でした。

・ミレトの告別説教
 まず、パウロはエペソで彼自身がどのような姿勢で福音のために奉仕したかを想起させます。つまり「謙遜の限りを尽くし、涙をもって…主に仕えた」ということ。さらに教える姿勢としては「益になることは、少しもためらわず…教え」たということです。また神のご計画の全体を知らせ、悔い改めと主イエスに対する信仰をハッキリと語ったということです。

・走るべき行程を…
 さらに「自分の走るべき行程を走り尽くし」とキリストに仕えてきた姿勢を証します。「走るべき行程」とは、競技のコースのことで、マラソン選手のように、召命を一生懸命に全うしたということです。
 また福音のためなら「私のいのちは少しも惜しいとは思いません 」と覚悟を述べています。人間が、その人生をある価値のために燃焼させるとき、その価値の尊さが認識されるものです。パウロの場合は、キリストのために人生を完全燃焼されることで、キリストご自身のすばらしさが輝きでたのです。それは彼にとっても最上の喜びと満足でした。
 私たちも少しでも、パウロと同じ足取りで歩みたいと願わされます。

2019/1/20 使徒の働き20:1~12 トロアスの教会


・新しい生命の集団
 パウロはエペソを去ってマケドニヤ、ギリシヤを巡ります.彼を中心とした集団には、様々な地方出身の人々が加わっていました。まさしく新しい生命の集団でした。彼らはキリストの福音によって結びつけられていました。

・トロアスの教会
 彼らはギリシヤを後にして、対岸のトロアスに立ち寄ります。トロアスは古代叙事詩イリアッドスの舞台でした。しかし彼らは全く新しい世界観、死生観をもたらしています。
 「週の初めの日に…集まった」とあります。彼らは愛餐/聖餐の交わりをし、御言葉の勧めと説き明かしの時をもっています。これは日曜礼拝の起源です。
・ユテコ…新しい生命の中で
「ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが…眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた」とあります。教会の交わりの中で、不慮の事故や悲劇的な出来事は起こったのです。
 パウロは彼を抱きかかえて「心配することはない。まだいのちがあります」と語っています。パウロの元で復活の奇跡が起こったのです。それは福音の交わりにある永遠の生命について証しとなり、人々は「人からならず慰められ」ています。
 私たちは時代も、場所も遙かかなたの時代に生きています。しかし、トロアスで起こったことと基本的に同じことが、私たちの内でも起こっているのです。

2019/1/13 使徒の働き19:1~20 エペソ教会と聖霊

第3次伝道旅行とエペソ
 パウロによる第3次伝道旅行の主な伝道地はエペソでした。エペソはアジアの州都でローマ第4番目に大きな町でした。しかしアルテミスの神殿や魔術が盛んな霊的には、暗い土地柄でした。

・聖霊のバプテスマ
 エペソでは、先にアポロやほかの弟子たちが伝道活動をしており、いくらかのキリスト者がいました。しかし彼らはヨハネのバプテスマしか知らず、人間的悔い改めと形式的バプテスマで留まったままでした。
 そこでパウロが「主イエスの御名によってバプテスマ」を授けると、彼らは「聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした」のでした。
・エペソ教会と聖霊
 パウロは、長くエペソに留まって伝道したため、福音はアジア州全体に伝播することになりました。それはパウロの力だけではなく、彼の周囲にいた弟子たちにもよります。
 はじめに聖霊のバプテスマを受けた人々は12人でしたが、彼らはちょうど、はじめの使徒たちのように聖霊によって一致して御言葉の宣教と教会形成をなしました。

 私たちの教会形成も、それぞれが聖霊のバプテスマを受けていることを自覚することが大切です。さらに、主イエスにすべて明け渡して献身する姿勢を持つ時に、今の時代においても聖霊は私たちに満ちるのです。


2019/1/6 ミカ書6:6~8 へりくだって神とともに


・何をもって主の前に
 預言者ミカは「何をもって主の前に進み行」くべきか、何が神に喜ばれるのかと問うています。新年の礼拝で、私たちも同じような問いかけをすべきです。
「全焼のいけにえ…」とあります。物や業などの犠牲だけを献げるのが真の礼拝か問い、それを否定しています。幾ら多くのもの、貴重なものを、見栄や自分勝手な考えで献げたとしても形だけの礼拝を神は喜ばないのです。

・公義と誠実を愛すること
「主は何をあなたに求めて」おられることは「ただ公義を行い、誠実を愛し」とあります。公義とは神の義を知り、それを社会生活、家庭生活において実行することです。誠実を愛するとは、神が「あなた」になす誠実を知ることから始まります。誠実とはヘブル語でヘセドと言い、恵み、愛、いつくしみという意味も含まれます。次に、それを愛して隣人に対して同じように行うことです。

・へりくだって神とともに
 「へりくだってあなたの神とともに歩むこと」とは、ミカが示す主要な信仰姿勢です。自己中心な存在ですから、それを押しとどめ、砕くことが大切です。そのようにして、神の道を知ることができ、神の歩まれる道を、神に従って進むことができるのです。
 またこの生き方は聖書が理想とするもので「エノクは神と共に歩んだ」創522,「ノアは…神とともに歩んだ」6:9とある通りです。

2018/12/30 ミカ7:18~20 罪を海の深みに


「あなたのような神が、他に」
 預言者ミカは、「あなたのような神は、ほかにあるでしょうか」と告白しています。神は天地創造の神としてご自身を示し、また歴史の中で、約束通りに救いの業をなしてこられた神です。力と存在と正義と聖さにおいて、比較できる神々はありません。私たちの国の神仏もこれに比べることはできません。

・そむきの罪を見過ごしにされる神
 さらに神のすばらしさは「残りの民」に対して現されます。「残りの者」とは、最後まで信仰を保つ人々のことで、私たちキリスト者もまた「残りの民」です。神は彼らに対して「そむきの罪を見過ごしにされ」「怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれる」方です。
・罪を海の深みに
 ミカは神が啓示された新しい救いの約束にもとづいて祈っています。「すべての罪を海の深みに投げ入れて」とは、出エジプトの時に、パロと軍勢とを海に投げ入れたように、今度は、罪そのものを踏みつけて、海の深みに投げ入れるようにと祈っています。罪の廃棄こそが、祝福の条件だからです。

・一年の終わりに
 私たちは一年の終わりに礼拝に集っていますが、このミカの祈りを借りて、私たちも祈るべきです。そして、罪の赦しについて確信を持ち、聖められた心と姿で新しい年を迎えたいのです。そこに神の祝福と生命がくだると信じるからです。

2018/12/23 マタイ2:1~12 ベツレヘムの星


・東方の博士たち
 ヘロデ大王の時代は表面的には壮大な建造物によって華やかさがありましたが、霊的には闇の時代でした。彼は猜疑心が強く、政治は歪んでいました。ユダヤの宗教的リーダーたちもまた、保身のために形骸した伝統を守るだけでした。
 この時代にキリストが誕生しましたが、その誕生を知ったのは、ユダヤから遙か東方の博士たちだけでした。彼らは自分たちが、闇の中にあることに気づいて、求道していました。そこに、神によって救いの光が照らされたのです。

・ベツレヘムの星
 「私たちは、東のほうでその方の星を見た」とあります。「星」については、様々な説がありますが、神が彼らの求道心に特別な輝きとして示された星であったことは確かです。そして、その星を「ユダヤ人の王」誕生を告げる星と理解し、その星に導かれてエルサレムに来訪しました。
 パスカルは、次のように語っています。「神から心情の直感を通して宗教を与えられた人は幸福である」と。彼らはそのような人々でした。

・博士たちの礼拝
 博士たちは、ベツレヘムが誕生の地であることを知らされ、ついに「母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」とあります。肉眼では、普通の幼子でしたが、彼らは幼子の内にも神の光を見たのです。
「…宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」と、彼らの信仰告白と献身の姿が示されています。そこにクリスマスの礼拝者の姿が明瞭に現されています。

2018/12/16 ミカ書5:1~9 キリスト預言


・暗闇の中で
 預言者ミカは近未来の危機を預言しています。それは町が外国軍によって支配される暗闇の時代についての預言でした。しかし、神はミカに対して、暗闇の中で遠未来の希望を啓示されます。また、ミカも暗闇の中で絶望することなく、恵みの神に期待していたので、その希望の預言をしっかりと受け止めています。

・キリスト預言
「ベツレヘム・エフラテよ。あなたは…最も小さいものだが、…イスラエルの支配者になる者が出る。 」
 有名なミカ書のキリスト預言です。マタイ2章とヨハネ7章で引用されています。ベツレヘムはエルサレム南方10キロにある町でした。ボアズ/ルツ物語の舞台、ダビデの出身地です。「最も小さいもの」とあるようにこの町は、当時、「小さく」、人の注目を集めるようなところではありませんでした。しかしミカは、「イスラエルの支配者になる者が出る 」とキリストの誕生地となることを預言しています。神は先祖ダビデに誓った約束を必ず成就させることを示しています。

・キリストの小ささと信仰
 彼の民となる者に要請される条件は「彼らは人に望みをおかず」で、目に見える大きさや外見に囚われないということです。実際にキリストがベツレヘムに誕生したとき、彼の小ささと貧しさ故に、多くの人々は目を留めることもありませんでした。ただ小ささという躓きを乗り越えた者たちだけが彼を知ることとになりました。

2018/12/9 ミカ書4:1~5 終わりの日に


・終わりの日に
 預言者ミカは遠未来の希望を預言します。「終わりの日」とは、神の救いの計画が成就した時代のことです。「主の家の山は、山々の頂に堅く立ち 」とは、その時代、エルサレムが、全世界のどの宗教、思想、権威、力よりもすぐれたものとなるということです。ただし「エルサレム」とは、地上から高く上げられた「天のエルサレム」です。

・主のことばが出る
 その時代、全民族が自分たちの古来からの神々や宗教を放棄して、エルサレムに求道してやって来るという有様が預言されています。その理由は、そこから「みおしえ」「主のことばが出るから」とあります。聖書の宗教では、徹底して神のことばが重視されます。旧約時代は人の罪を暴く戒めが律法という形で与えられました。「終わりの日」には、人を生かす福音が、神のことばとして与えられるのです。それは罪の赦しと永遠の生命が宿されたことばです。それ故、全民族は「来て」「さあ」「上ろう」「歩もう」と強い求道心を持ってやってくるのです。

・「終わりの日」に生きる私たち
 ミカの預言は、その700年後にイエス・キリストの誕生によって実現しました。それ以来、預言通りにすべての民族が、「主のことば」を求めて、「来て」「さあ」「上ろう」「歩もう」と呼びかけ合って、天のエルサレムに向かっています。それは具体的には、互いにみ言葉を求めて礼拝に集うことで実現しています。礼拝で、私たちは天に向かう巡礼者の集団となるのです。

2018/12/2 ミカ書3:1~8 預言者…地の塩、世の光


・指導者たちの罪と民の悲惨
 預言者ミカはイスラエルの指導者たちを非難しています。彼らは神によって権威が与えられ民を牧するために任命された者たちでした.ところが、「善を憎み、悪を愛し」「人々の皮をはぎ」「わたしの民の肉を食らい」という表現されているように、極度の搾取と暴虐を行っていました。彼らの神に対する反逆は、具体的には貧民に対する搾取と暴虐という形で現れていたのです。しかし神の目には、小さい者たちも貧しい者たちも「高価で尊い」ご自身の民でした。

・偽預言者たちの罪
 ミカは同業の預言者たちに対しても非難しています。彼らもまた神によって民に指針と救いを与えるために任命された者たちでした。しかし霊的権威を腹の満たしと金儲けのために用いていました。彼らは「歯でかむ物があれば、「平和があるように。」と叫ぶが、彼らの口に何も与えない者には、聖戦を宣言する。」とあるとおりです。

・「しかし 私は」
 「しかし、私は力と、主の霊と公義と、勇気に満ち…」と語っています。「しかし、私は」はたいへん強い、反対の意志を現します。神の霊に満たされて、一人、世の流れに抗して立つ預言者の姿がそこに見られます。彼は周囲の人々がどのようであっても、ともかく神からの召命に答え、献身して預言者職を全うしたのです。
 この姿勢は、世に生きる私たちキリスト者にも要請されるものです。私たちも主キリストによって地の塩、世の光とされている者です。その塩気を発揮し、暗い時代にキリストの光を精一杯、輝かせましょう。