・イエス
主イエスは大祭司邸で祭司長、長老、律法学者の尋問を受けます。彼らは初めから主イエスを死刑にする訴えを探しましたが、罪を認めることができませんでした。最後に大祭司が「あなたはキリストですか」という質問に対して、明確に「私は、それです」と告白します。暗黒の中でも、主イエスは真実と誠実を保たれました。そこに神の子としての栄光が輝いたのです。
・ペテロの否認
ペテロの詰問も同時進行します。彼は自分の正体を隠してを大祭司の下の庭で火にあたっていました。一人の女中は彼に対して詰問して言います。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね」。ペテロは否認します。2度目もそうでした。3度目には他の者たちも「この人はあの仲間」と言いだします。ペテロは「のろいをかけて誓い」強く否定します。
「鶏が、二度目に鳴いた」とき、彼は主イエスの予知を思い起こし、自らの信仰の弱さ、罪を深く思い知り「泣き出」しました。それは自分の力を過信する信仰者の結末です。
・回復
やがてペテロは信仰を回復させ、大使徒と呼ばれる良き信仰者とされます。そのためにはどうしても、この辛い体験を通る必要があったのです。自分の意志や力を過信、肉の側面が打ち砕かれて、初めて純粋にキリストを信じる信仰が養われ始めたのです。
「・・・キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」Ⅰペテロ2:24とあります。ペテロだけではなく、私たちも自分の弱さと罪を思い知り、キリストによって癒されて初めて、良き信仰者としての土台を築くのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿