・ユダの裏切り
神の国に暗黒の力が押し寄せました。イスカリオテのユダは悪の力に飲み込まれて、主イエスを裏切ることになります。彼は十二弟子に選ばれていたのですが、悪に染まり、その悪が熟して、ついに公然とした反逆心が芽生え、裏切りという行動に向かったのです。
彼は「剣や棒を手にした群衆」を隠れ場に導き、イエスに口づけして認知させました。面従腹背という言葉がありますが、それがさらに公然とされたのです。
・他の弟子たちの弱さ
暗やみの力の中で、ある弟子は剣で対抗しようとしますが、結局は逃げ去ります。絶望感と恐怖心が彼を覆ってしまったからです。また「ある青年(マルコ)」が途中までついて行きますが、彼もまた惨めな姿で逃げ帰ります。
圧倒的な悪の力の中で、他の弟子たちも、自分の弱さが顕わになってしまったのです。地上の悪の力というのは、それが牙をむきだしたときには、もはや人間の力では対抗できないのです。
・暗やみの力の中で
主イエスは裏切りも捕縛も、さらに十字架さえも、すべて「聖書が成就するため」と語っています。つまり「暗やみの時」の一切は神の救いのご計画に含まれているということです。救いは、暗やみの時を通り抜けた向こうにあるのです。
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、・・・捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならない 。」8:31のです。
このことは私たちの信仰の日々でも全く同じです。ただ暗やみのときに弱さが顕わになったとしても「ユダにはなるまじ」と言うことです。
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