・安息日/パリサイ人の家
ある安息日に、主イエスがパリサイ人の家で食事に招かれたときのことです。パリサイ人らは、イエスの一挙手一投足に注目していたことが記されています。彼らは「イエスの真正面に、水腫をわずらっている人」をあえて座らせて、癒やしの瞬間をとらえて、非難しようとしていたのです。 彼らは律法を、ただ自己義認のための手段として、ただ規則だらけの束縛の世界を作っていました。
・水腫の人の癒やし
「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか。」 主イエスは彼らの魂胆を察して機先を制して問いかけています。彼らが沈黙していることを見て「イエスはその人を抱いて直してやり、そしてお帰しになった」とあります。イエスの癒やしは肉体だけではなく全人格的であり、水腫の人は癒やされて、罪と律法の束縛から神の救いと愛の世界に復帰させたのです。そして主イエスは、癒やした理由について、例外規定を引用して、安息日の基本精神は「愛とあわれみ」であることを示しています。
・信仰と愛による転換
人間は罪人であるため、どのような律法もただ人間疎外の規則にしてしまうだけです。ただ主イエスを受け入れることで、その誤りは克服され、さらに優れた行動基準を獲得します。「キリスト・イエスにあっては…愛によって働く信仰だけが大事」ガラ5:6とあります。私たちもキリスト信仰とともに、愛を中心とした世界をつくりましょう。
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