・ラザロが病んで
主イエスは人となって地上に来られた神の子です。それは一人一人と出会い、交わりを持ち、その人々に対してご自身の愛を明らかにするためでした。ラザロはベタニヤの人で主イエスを信じ、深い交わりを持っていた人です。そのラザロが重い病気になった時、姉妹たちが癒やしを求めて、使いをよこすのは当然です。
・信仰者の死
しかし、主イエスの元に使いが来たときには、すでにラザロは死んでいました。ベタニヤから主イエスがいたヨルダン川東岸までは一日の道のりがあったので、使いは知らずいたのです。この後、主イエスは二日留まってから、一日かけてベタニヤにいったときには、ラザロは死んでから四日たっていたのです。
・死で終わらず
主イエスはラザロの死を知りながら語ります。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」
ラザロの死は、姉妹をはじめとした信仰者たちにとって、大きな試練になります。死という現実の前で、信仰や愛が無意味になるように思うからです。しかしその最大の試練こそが、神の栄光の場となることを主イエスはラザロの死という現実のただ中で示されるのです。