・十字架上で…ひとりの犯罪人
主イエスの十字架刑の時、その両脇にふたりの犯罪人も共につけられました。そのひとりは「イエスに悪口を言い」「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言い放ちます。「人は生きてきたようにして、死んでいく」と言われますが、彼はその典型です。最後まで、目先の現実だけを見て、その背後にある真実が見えないのです。
・もうひとりの犯罪人
「ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて」とあります。彼もはじめはイエスに悪口を言っていたようですが、途中で見方が変わっています。死の間際まで「悪いことは何もせず」忍耐し、赦す姿に、世の次元から隔絶した「正しさ」を見ています。そして「あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」とイエスを神の子キリストであると信仰告白をしています。彼の場合は、死の間際に注がれた神のあわれみの器です。
・ わたしとともにパラダイスに
彼に対してて主イエスは告げます。「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」。「きょう」とは、その瞬間であり、死ぬその日のことです。パラダイスとは神の聖域であり、神の国の圧倒的支配の中を意味します。つまり、極悪人であってもイエスをキリストと信仰告白した瞬間、彼はキリストと共に神の圧倒的恵みと生命の支配の中に置かれているということです。
私たちもまた、罪人ですが、もうもうひとりの犯罪人のように、イエスの正しさを見て、心からの信仰告白をしたいです。
2023/3/26 ルカ福音書23:39~43 ふたりの犯罪人
2023/3/19 ルカ福音書23:26~38 ユダヤ人の王キリスト
・十字架を負って
兵士たちは、イエスにの十字架を、クレネ人シモンに負わせまました。主イエスの十字架を負うという点で、彼は私たちキリスト者の典型です。
さらに主イエスの後には、大ぜいの群衆と嘆き悲しむ女たちが従いました。主イエスはその女たちに向かって神の裁きを預言します。それは単に、彼女たちだけではなく、すべてイエスをキリストと信じない者たちに対する裁きの預言です。
・十字架上のとりなし
ゴルゴダで、主イエスは兵士によって十字架につけられました。そのときに「父よ。彼らをお赦しください…」と神に向かって赦しを願います。神と主イエスに敵対し反逆する者たち全てに対してのとりなしです。その贖いと和解の姿こそ地上に到来した神の子の真の姿でした。
・ユダヤ人の王キリスト
「「これはユダヤ人の王。」と書いた札もイエスの頭上に…」とあります。ユダヤ人の王とは、旧約聖書で預言されてきた神の子キリストのことです。彼はユダヤ人の王だけにとどまらず、全国民の王として定められています。その使命は、力で敵を打ち負かすことではなく、神と人間との和解と贖いでした。
私たちは彼の贖いと和解を受け入れた者たちですが、私たちの使命は彼の十字架を背負って地上の生涯を全し、彼を証しすることです。
2023/3/12 ルカ福音書23:1~25 「十字架につけろ」
・総督ピラトの前で
祭司長とユダヤ指導者たちは、夜中に議会を持って主イエスを有罪としローマ法廷のもとで、十字架刑にすることを決議しました。翌朝、ローマ総督ピラトの法廷につれていき主イエスを訴えますが、ピラトは無罪と判断します。しかし彼らユダヤ指導者らは「あくまで言い張って」告発し続けています。
・国主ヘロデの前で
主イエスはガリラヤ領主ヘロデの元にも引き出されます。彼は洗礼者ヨハネの殺害者であり、邪悪で狡猾な人間でした。彼は奇跡を見たいと思い、色々と質問しますが、真摯に聞こうとはしません。そのような人間に、主イエスは沈黙を保ったままでした。
やがてそこでも祭司長とユダヤ指導者らは、激しく訴えたので、ヘロデ王は主イエスを侮辱し、はでな衣を着せて、ピラトのもとに返します。
・十字架につけろ
ピラトは主イエスを釈放する口実を作りますが、ユダヤ人指導者らは、人殺し「バラバ」の釈放を求めます。さらに「十字架だ。十字架につけろ。」とあくまでも大声で主張します。「そしてついにその声が勝った」とあります。
祭司長とユダヤ指導者たちは、自分を義とする人間の典型です。そこではいつでも神とキリストに対する反逆があるのです。しかし、神はいつでも、人間の思いを超えた形で新たな救いの道を開かれるのです。
2023/3/05 1コリント7:1~7 独身と結婚
・独身と結婚
パウロはコリント教会からの問い合わせに対して答える形でキリスト者の独身と結婚生活について指針を示しています。
まず「男が女に触れないのは良いこと」と独身生活を尊重しています。「触れない」とは性的関係を持たないという禁欲スタイルです。「しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい」とあります。
・夫と妻の義務
「夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい」。ここで「義務」とは性的なつとめのことです。結婚について「産めよ増えよ」、「キリストと教会」などの意味付けがありますが、不品行から互いを守ることも重要な意味です。
「合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょに」と離れる場合も互いの「合意」が必要であり、しかも「再びいっしょ」が条件です。
・独身と結婚の賜物
最後にパウロは「すべての人が私のようであること」と独身で専心して神に仕える幸いについて述べています。しかし「ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っている」と語り、独身にしろ、結婚にしろ、すべて神からの「賜物」で、その賜物を通して、不品行を避け、神に仕えることが大切であることを確認しています。