・福音による父
パウロは、コリント教会に対して霊の父であることを明言しています。色々な教師たちがいたのですが、異邦人の使徒としての唯一無二の立場です。
「福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだ」とは、ちょうど創世記でアダムが「生んだ」ということと比較できます。アダムの場合は地上の生命により彼に似た子たちを生んだのですが、パウロは、福音によってキリストの生命によって「生んだ」と語っています。それはアダムの生命以上に、リアルな生命です。
・私にならう者に
「私にならう者となって…」とあります。キリストに似た者としての私にならうようにということです。福音の言葉だけではなく、信仰姿勢と生活スタイル全体を真似るということです。
またパウロの代わりに愛弟子のテモテを遣わすので、彼をとおして学び、真似るように勧めています。教会の牧師も、そのような存在として建てられています。
・神の国は言葉にはなく力に
「神の国はことばにはなく、力に」とあります。コリント教会のある者たちは、キリスト教とは、ただの言葉だけの宗教と考え、知識を誇り高慢になっていました。
しかしパウロは、教会では、神の力が働く神の国であり、愛の祝福があり、神の裁きが起こるダイナミックな場であることを示しています。
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