「書かれていることを越えない」
「書かれていること」とは、聖書のことで、いわゆる「十字架のことば」です。「越えない」とは、それが神の言葉であることを覚えて、恐れと愛を持って受け止め、人間の知恵や考えを加えて、逸脱しないということです。
「一方にくみし、他方に反対して高慢にならない」とは、党派を作って互いに対立する誤りです。党派心は、いつでも人間的な高ぶりが伴い、しかもエスカレートします。私たちは、その点をチェックして、高慢に陥らないように心がけなければなりません。
・高慢な王様
コリント教会の人々は、これらの逸脱がありました。自分で自分をすぐれた者とし、全て自分の能力で獲得したかのように誇り、王様のようになっていたのです。その態度は、誰でもかまわず裁くという態度でした。この「高慢な王様」の態度は、コリント教会だけでも、どこの教会でも起こりうる悪です。
・仕える王様
コリント教会の高慢はギリシャの知恵と文化の影響を受けた根深いものでした。そこで使徒は自分たちの実態を示しながら、「十字架のことば」としての福音に従う者のあり方を示しています。
「死罪に決まった者…」「私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません」。どれもキリストにならって「十字架を負う」姿勢です。
0 件のコメント:
コメントを投稿