・教会内の争い
パウロは、教会員同士での財産等についての訴訟騒動を取り上げています。彼らはそれぞれ町の裁判所に訴え出ていたのです。
それ対してパウロは、些細なことで異邦人社会で訴訟を起こすべきではなく、むしろ聖徒たちに仲裁を頼んで解決するように促しています。それは世の終わりにおいて聖徒たちが世界を裁く立場となるので、そのあり方を今の時代に反映させるべきだからです。
・仲裁者と和解
「兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者」とあります。些細な問題をクリスチャンの仲裁で解決するようにということです。さらに「互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北」とあるように、些細な問題で相手をいちいち非難するのではなく、忍耐して、和解の姿勢を持つことの大切さを示しています。それがキリストの和解によって立つ神の国/教会のあるべき姿です。
・神の国の正しさと平和
私たちの場合も、教会についての認識が希薄で、世のサークルのひとつのように考える傾向があります。しかしそうではなく、教会はキリストの御名と聖霊によって洗われた神の国です。私たちはその聖さと正しさを保たなければならないのです。
「正しくない者は神の国を相続できない」とは、まさしくその通りの警告の言葉です。
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