・心配
主イエスは「いのちのことで何を食べようか…何を着ようかと心配したりするのはやめなさい」と語っています。世に生きる限り、様々な生活の心配と煩いは避けることはできません。しかし、それが過度になる時に、囚われて目に見えない神の恵みから離れる危険があります。
・烏のことを考える
「烏のことを考えてみなさい」とあります。烏は不浄な鳥とされていますが、それでも「蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉も」ないのに繁栄しています。それは神の養いの中にあるからです。
自然の中に現されている恵みを考えさせてから、次に「あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたもの」とあります。小から大の論理で類推させています。
・ゆりの花のことを考える
次に野の「ゆりの花」について「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした」と語ります。神の恵みと装いの中にあるものは、どのような人間の装いよりもすぐれていることを示しています。そしてここでも「ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう」と小と大の論理、特別な恵みを洞察する霊的類推に招いています。
私たちは圧倒的な異邦人の中にあり、同じように心配の虜になりがちです。そのような時に、自然の恵みに目を留め、次に神の遥かに大きな恵みに心を向けることが大切です。
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