・幸いな者
主イエスは人々に「幸い」についての説教を語ります。「貧しい者は幸い」とあります。この世において「貧しい者」は不幸の典型とされますが、キリストがそこに臨在することで彼らこそ「幸い」の典型となります。彼らはただキリストに結びつき、キリストの恵みと祝福を一身にうけることになるからです。またキリスト臨在のところが「神の国」となるからです。
・迫害と幸い
また主イエスは後の時代、神の民が迫害に会うことを予告します。つまり「人々があながたたを憎むとき…除名し、はずかしめ…あしざまにけなすとき」があると。しかしそのときでも、「幸い」と語っています。外見ではいかに辛い状態に置かれていたとしても、聖霊によってキリストの臨在があり、それゆえ信仰者の心はしっかりと支えられているからです。
・哀れな者
「富んでいるあなたがたは哀れな者」とあります。富んでいることはこの世的に幸いな状態なのです。しかしキリスト無しの世界は、廃れ滅びゆきます。また最後の審判の時、彼らの富が彼らに対して不利な証言となるからです。ここでもキリストの臨在により、全て180度の転換が起こることが示されています。
私たちも、ともすれば世において「富んでいる者」「ほめられ」受け入れられている者として生活しています。その場合、もう一度自分を顧み、黙示録3章にあるように悔い改めることが必要です。(3:17~19)
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