2020/2/2 コロサイ人の手紙1:24~29 キリストの苦しみを満たす

・キリストの苦しみを満たす
 パウロは「私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとして」と語り、それは「キリストの苦しみの欠けたところを満たしている」ことだからと証しします。
 パウロはキリストに結びつくことを切に願っていました。それは具体的なキリストのからだである教会のために労苦し、苦しむことによってでした。パウロにとって霊的な深まりとは、心だけのことではなく、具体的な教会とのかかわりの中でなされていました。

・栄光の望みキリスト
 またパウロが教会のために労苦することを喜びとする理由は、自分の労苦を通して、奥義であり「栄光の望み」であるキリストが、教会にただ中で顕わにされるからです。地上における教会自体はキリストのからだですが、ラフな状態です。それがキリストの苦しみにあずかる中で、聖められ、整えられて栄光の教会に変えられていくのです。

・苦しみとキリストの力
 また教会のために苦しみ、また労苦し奮闘するとき、そこに「キリストの力」が力強く働くと証しています。キリストの苦しみの欠けたところは、キリストとの接点であり、同時にキリストの復活の力が発生点であるということです。
 教会では、お客のように愛を受けることを喜ぶという側面もあります。しかしキリストを知り、キリストの力を知るためには、「キリストの苦しみの欠けたところを満たす」という姿勢が大切です。