・使徒としての苦闘
パウロは、コロサイとラオデキア教会の人々に対して、彼らのために如何に苦闘しているかを知ってほしいと語っています。それは彼がキリストによって任命された使徒であることを知ってもらうためでした。苦闘を通して、福音のための熱心と聖日、異邦人教会に対する愛を証していたのです。
・キリストを真に知るため
さらにパウロが苦闘を通して願っていたことは、彼らが「心に励ましを受け」ること、また「愛によって結び合わされ」ることでした。そうした中で、「理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるため」とあります。パウロの全精力は、ただすべての人々がキリストを知るためであったということです。
・知恵と知識の宝庫
「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている」とあります。知恵とは実際的で知識とは合理的なものといわれますが、この2つで一切の知恵/知識を包含しています。異端の教師たちも、キリスト以外に色々な知恵知識について謎めいた伝授をしていました。しかしパウロは「キリストのみ」「キリストがすべて」と明確に語ります。
「宝」とありますが、意味は宝庫/宝箱です。すべての栄光と価値がそこに隠されています。ただそれを開けば自分のものとされるのです。
私たちにもこの宝庫が与えられていますが、これを開けるためには信仰と誠意が求められます。