・キリスト者の将来
すべての人間に人生の限りがあるように、キリスト者の生涯にも限りがあります。このことは、召天された兄姉のことを思うときに、再認識させられます。
しかしみ言葉によれば、他の人々とはまったく異なる未来が約束されています。地上の人々の将来に対する思いは恐れと不安だとすれば、キリスト者の将来は、希望と喜びです。
・大祝会に近づいて
「しかしあなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです」
「あなたがた」とは召天者であり、今、キリストを信じる者たちのことです。地上のシオンも、エルサレムも仮の都にすぎません。天の都こそが神臨在のコミュニティーでです。また「大祝会」とありますが、そこでは喜びと生命の充満があることを意味します。
・待望する
私たち地上に生きるものたちには、当然、地上の生命に対する多少の執着と未練があります。しかし召天した兄姉のことを覚えて、地上の生命は過ぎ去ることを直視し、さらにすぐれた天の喜びに対する待望心を養いましょう。