2017/6/11 ピリピ4:4~7 喜び、寛容、祈り 



・主にあって喜ぶ
「いつも主にあって喜びなさい」。「主にあって」とは、「主が共にいてくださる」という意味が含まれます。霊的現実を信仰の目で見て、喜ぶようにということです。
 目に見える状況が悪くとも、あえて信仰によって喜ぶという積極さが大切です。そして私たちが「主にあって喜ぶ」とき、実際に物事もよい方向に進展するのです。

・寛容
 「寛容な心」とは、相手を敵視したり、相手を恨んだりすることの反対です。むしろキリストのように、どのような人をもうけ入れ、融和さを持ち、欠点を覆うような寛大な心ということです。
 私たちの時代は、寛容さを失っている時代です。その中で、キリストの心のように生きることは良い証となります。

・祈りと平安
 「何も思い煩わないで」とあります。私たちの思い煩いは目先のことに囚われ、何でも自分で解決しようとする肉的状態の中で起こってきます。その時こそ、信仰を呼び覚まして、神に祈るチャンスです。
 私たちの霊の目は祈りを通して開かれ、私たちの近くにあって、私たちを愛してやまない父の神を知ることになります。そのようにして「人のすべての考えにまさる神の平安」私たちを覆うのです。 
 私たちは、不安と不満と失望の時代に生きています。この時代のただ中で、神の民として生きることの幸いを享受し、証ししましょう。