・お任せにならなかった
過越の祭りの間、主イエスはしるしを現したので、多くの人々が信じました。しかし、主イエスは「ご自身を彼らにお任せにならなかった」とあります。彼らは目に見える奇跡を信じただけで御利益信仰に留まっていたからです。
・人の内にあるもの
また「イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので」とあります。「人のうちにあるもの」とは、罪であり、ついには敵対するまでになる悪です。
確かに十字架直前に、人々の内にあるものが噴出して、ユダの裏切り、ペテロの否認、弟子たちの見捨てる姿となってあられます。
・人の内にあるもののため
主イエスは「人のうちにあるもの」が顕わになり、弟子たちがそれを自覚するために、十字架の死を忍ばれました。
十字架の死は、同時に「肉において罪を処罰された」出来事でした。一人の人アダムを通して罪がはいったように、一人の人キリストによって罪が処罰されたのです。そこで自らの罪を知って、キリストを信じる者は、誰でも救われるのです。