・「わたしの時はまだ」
主イエスが、カナでの婚礼に出席した時、ぶどう酒が欠乏しました。そこで、母マリヤは主イエスに対して欠乏を告げて、求めました。
ところが主イエスは「わたしの時はまだ来ていません」と一蹴しました。しかし、拒絶したのではなく神の御業は人間的な思いや願いで起こるのではなく、ただ「神の時」だけに起こることを知らせたのです。
・「イエスの時」を待つ
マリヤはイエスの言葉通り「その時」を待ちました。手伝いの人々にもその旨を伝えています。また手伝いの人々は「水がめに水を満たしなさい」と促されたときに、それを徒労とも考えずに、つぶやくことなく、その言葉通りにしています。
・「さあ、今くみなさい」
その時が到来し、主イエスは「さ
あ、今くみなさい」と告げます。手伝い人はその言葉に従って水を汲んで宴会の世話役に持って行きました。その時、水はぶどう酒に変化しており、しかも極上のぶどう酒になっていました。そこで彼は花婿に「…あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました」と賛辞を添えたのです。
・「カナの婚礼」から
カナの婚礼から私たちは欠乏の時の対処法について学ぶことができます。生活の欠乏、力と意欲の欠乏の根源は、私たちの生命が血肉の生命であることによります。その時には、「イエスの時」を待ち望んで備えるが肝要です。信じ待ち望む者には、「イエスの時」は確実に訪れ、私たちとその生活を新しい生命と恵みとで満たすのです。