・現実とつぶやき
イザヤは人々のつぶやきを指摘しています。人々は目先の現実ばかり見て困難を覚え、つぶやいていたのです。私たちもただ目先の現実だけにとらわれていたら、いつの間にか呟きと不安と不信仰になってしまいます。
・永遠の神を見上げる
信仰者が忘れてはならないことは、神の言葉を聞き、神に教えられ、神を見上げると言うことです。その時に肉眼で見て早合点した現実とは異なる神の世界が見えます。神は永遠の神であり、人間の思いと力を遙かにこえた方です。また民に対してその力と生命を与えようとしておられる方なのです。
・待ち望む信仰
それでは私たちはどのようにして、神の力を受け取ることができるのでしょうか。それはただ「主を待ち望む」という信仰姿勢のみです。主を信じ続けると言うことです。色々な困難がやってきますが、その中で信じ続けることで信仰は鍛えられていきます。
・新しく力を得る
イザヤは主を待ち望む者がどのような力を受けるかについて鷲のたとえを用います。鷲は羽を痛めたとき、じっと待ちます。するとやがて新しい羽が生え、前よりも力ある羽となります。鷲はその風切り羽でもって上昇気流をとらえて高く登ることができるのです。丁度そのように、神の民は待ち望む信仰が新しい羽になり、神の風を受けて上昇することができるのです。