2013/1/27 イザヤ40:27~31 待ち望む信仰

・現実とつぶやき
 イザヤは人々のつぶやきを指摘しています。人々は目先の現実ばかり見て困難を覚え、つぶやいていたのです。私たちもただ目先の現実だけにとらわれていたら、いつの間にか呟きと不安と不信仰になってしまいます。

 ・永遠の神を見上げる
  信仰者が忘れてはならないことは、神の言葉を聞き、神に教えられ、神を見上げると言うことです。その時に肉眼で見て早合点した現実とは異なる神の世界が見えます。神は永遠の神であり、人間の思いと力を遙かにこえた方です。また民に対してその力と生命を与えようとしておられる方なのです。

 ・待ち望む信仰
  それでは私たちはどのようにして、神の力を受け取ることができるのでしょうか。それはただ「主を待ち望む」という信仰姿勢のみです。主を信じ続けると言うことです。色々な困難がやってきますが、その中で信じ続けることで信仰は鍛えられていきます。

 ・新しく力を得る
  イザヤは主を待ち望む者がどのような力を受けるかについて鷲のたとえを用います。鷲は羽を痛めたとき、じっと待ちます。するとやがて新しい羽が生え、前よりも力ある羽となります。鷲はその風切り羽でもって上昇気流をとらえて高く登ることができるのです。丁度そのように、神の民は待ち望む信仰が新しい羽になり、神の風を受けて上昇することができるのです。

2013/1/20 イザヤ40:6~8 神の言葉は永遠に立つ

・すべての人は草
  人間は知能があり、他のものと比較してすぐれていると錯覚することがあります。また霊魂は不滅であると聞くことがあります。しかし本質は「肉」に過ぎず、草と同じように滅び行く存在です。また人間との関わりやその頼もしさや慕わしさも、野の花のように絶えてしまいます。

 ・主の息吹がそこに吹くと
  人間のはかなさは、何かの事件や災害時に明瞭になります。旧約の時代には周辺諸国の侵略がそれでした。人々は殺戮され、捕囚に憂き目にあい、人間が如何に頼りがない存在であるかを思い知ったのです。
  しかし、事件や災害と見えることも、本質は「主の息吹」でした。地上の生まれながらの人間は神の怒りの元にあります。滅びという現実の中で、神の怒りの元にある存在であることを、厳しい形で示されるのです。詩篇90編にはそのことがしるされています。

 ・神の言葉は永遠に立つ
  しかしながら、「私たちの神」は神の民に対しては厳しいだけの神ではありません。それ以上にあわれみと恵みに満ちた神です。その恵みの手段は御言葉をとおして明示されました。人の「栄光=ヘセド」は頼りなくとも、神の「栄光/恵み=ヘセド」は永遠なのです。
  私たちは神の言葉である福音を信じることで、どのような時にも神によって新しい生命に生き返らせ、神の言葉と共に永遠に生きるのです。

2013.1.13 イザヤ37:14~20 ヒゼキヤの祈り

・背景
 アッシリヤ帝国は勢力を伸ばし周辺諸国を滅ぼします。またBC721年には北イスラエルが滅亡しました。イザヤ書36~39章の記事はBC701年頃の出来事と思われます。この時、アッシリヤ帝国は南ユダに矛先を向けエルサレムを包囲していました。
  この時の南ユダ王国の王はヒゼキヤでした。彼は敬虔な人であり、この危機に際して、信仰的に対処します。

 ・ヒゼキヤの信仰
  ヒゼキヤの祈りの言葉に、彼の信仰があらわされています。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。 」とは、一切の被造物から超然とした絶対神ということです。天使ケルビムは一切の被造物の頂点にありますが、その遙か上に君臨するのが主なる神です。
  「ただ、あなただけが地のすべての王国の神」という告白は、異国の神々は偶像で主なる神のみが生きている神という告白です。

 ・ヒゼキヤの祈り
   ヒゼキヤは自分のことよりも神を第1に覚えて祈っています。まず神の名が「そしられ」侮られていることを問題視して祈っています。さらに、自分のためというより神の栄光のために祈っています。  「私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。」  神は御心にかなった祈りに答えてくださり、翌朝、アッシリヤ軍勢は撃退されたのです。

2013/1/6 イザヤ35章 シオンへの帰還

・終わりの時
  神の民にとって地上の生涯は必ずしも、良いことばかりではありません。むしろ、暗闇の時、不毛の時が多いのです。預言者イザヤの時代も、そのような時代でした。
  しかし、イザヤは未来の預言をします。つまり神は「終わりの時」に荒野と砂漠にサフランを咲かせるように、神の国を実現してくださると言う預言です。

 ・キリストにある時
  「神の国」はキリストの到来によって、一部、実現します。また使徒パウロは「今は今は恵みの時、今は救いの日です」と語っています。
  つまり「神の国」は、キリストの福音と共に私たちの内面において実現しているということです。私たちが、福音を信じるときに、神の国の民とされ、神の国に入れられるのです。

・シオンへの帰還
  神の民に取ってこの世は寄留の地です。そこが最終目標ではなく、神の国が完全に姿を現す「終わりの時」に、なお向かっていきます。
  その際、神の民には「大路」が用意されています。御言葉と聖霊によって照らされた大路で、そこを通る限り、悪魔も世の権威も、行く道を妨げることはできません。

 ・未来に向かって
  今は、未来に対する展望を失いかけている時代です。人々は刹那的な喜びで気を紛らわしたり、絶望的な気持ちになっています。しかし、私たちは神によって与えられ、招かれている未来の時代があることを明瞭に覚える必要があります。そこ自覚から、生きる力と希望が沸き上がってくるのです。