09/4/12 エマオへの途上 ルカ24:13~26,32

・エマオへの途上
 エルサレムからエマオという村に下っていこうとしてた弟子たちの面持ちは暗いものがありました。主イエスの復活を心から信じていなかったからです。
 この弟子たちの暗い絶望的な心は、すべて復活を受け入れていない人の心の姿です。復活を受け入れていないとたとい主イエスが面前にいて救おうとしておられても、主イエスと認めることはありません。

・聖書全体から復活を示す
 主イエスは、目が遮られている2人に近づいてなされたことは、聖書全体からキリストの死と復活を示すことでした。10数キロの道のりを歩く間、克明に示していったのです。弟子たちの心の目は、次第次第に開かれ、心も燃えて明るくなっていました。
 私たちの場合も復活信仰を強めるためには、ただ御言葉の全体を通してキリストの死と復活を克明に知り、理解することが大切です。

・礼拝と聖餐
「食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで彼らの目が開かれ、イエスだと分かった」
 これは小さな礼拝の姿です。礼拝の中心は、御言葉と聖餐です。ここで私たちは、心の目が開かれ、復活の主キリストを認めるのです。またそこで憂いも、不安も恐れも、主イエスによって取り除いて頂くのです。
 私たちは毎週毎週の礼拝を重んじて、御言葉と聖礼典を通して復活信仰を強め、キリストの死と復活はすべて私の罪の贖いと新しい生命のためということを覚え、心を燃やしましょう。

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