・献金箱の前で
「イエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた」 とあります。献金箱は婦人の庭にあったのですが、そこでの光景です。金持ちたちが多額の硬貨を投げ入れたのは目でも音でも分かりました。それで本人も周囲の者たちも、その信仰を評価していました。「ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れ」とありますが、その場合も、目と耳で、その小さな額がわかり、人々は蔑む傾向がありました。
・銅貨二つの尊さ
しかし、主イエスは、人々とは異なった評価をしています。「この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました」と。その理由は「みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたから」とあります。つまり献金の価値は、金額の大小ではなく、目に見えない信仰と献身の大小にあるとしたのです。
貧しいやもめは一レプタでも大きな心の痛みでしたが、神を信じて更に一レプタ銅貨を捧げて、神を礼拝したのです。
・痛みと尊さ
私たちも、このやもめにはかないませんが、痛みがあったとしても、神を第1とするにふさわしい信仰と献身を具現した形で献金をいたしましょう。神は、それを高価で尊いとしてご覧になられるからです。
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