2020/12/27 詩篇91篇 全能者の陰

・いと高き方の隠れ場
「いと高き方」とはすべての神々、権威の上に存在する神ということです。「隠れ場に住む」とは、信頼して生活することを意味します。
 どの民族、どの国にも色々な神々や権威があります。また自然の脅威や災いもあって、私たちは驚異を感じながら生活しています。しかし、それらの一切よりも高く権威がある神を信頼する時に、完全に守られるということです。

・全能者の陰
「全能者」とは、不可能がない神、どのようなこともできる神ということです。聖書ではアブラハムを始めとした族長たちに啓示された神の名として記されています。「陰に宿る」とは、その庇護のもとで生きることを意味します。ちょうど親鳥に守られた雛ようにです。ですから「全能者の陰に宿る」ことは、何より安全な生活ということになります。

・明瞭な信仰告白
 以上の主なる神の啓示に対して、詩人は大胆な信仰告白をします。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。ただ聞くだけではなく、信仰の応答がこの詩篇に力強さと勢いを与えています。
 私たちは2020年を終えようとしていますが、同じような信仰告白をなして一年の守りを感謝すべきです。また、新しい年に向かっても同じ告白により、力強さと勢いと、さらに風格を持って進んでいきたいと願うのです。
 

2020/12/20 ルカ福音書2:8~14 きょう ダビデの町で

 ・「きょう ダビデの町で」
 ルカの福音書では降誕の知らせを最初に受けたのは羊飼いたちだったとあります。彼らに御使いは次のように語っています。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主が…」とあります。「きょう…あなたがたのために」と、降誕の知らせは、きわめて切迫感をもって語られています。さらに「救い主」について「飼葉おけ…みどりご」と、意外なほどにみすぼらしい姿が啓示されています。キリストは世の価値観で見た時にはいつもそうです。

・ 天の軍勢
 しかし、その「飼葉おけ…みどりご」の知らせとともに天の軍勢が現れて神に賛美しています。一人の御使いでも輝かしい姿なのに、天の軍勢の輝かしさは筆舌に尽くしがたいほどでした。彼らの輝かしさは「主の栄光」を反映したものであり、また「みどりご」を霊の目で凝視したときに顕になる輝きです。

・「天に栄光、地に平和」
 彼らの賛美は「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」とあります。「みどりご」によって父の神が、新たに賛美されること、さらに「みどりご」を通して、人とともに臨在し、平和、救い、愛、永遠の生命を与えるということです。
 そして「御心にかなう人々」とは、ただ羊飼いたちだけではなく、現代でも福音が伝えられ、それを信じるすべての人々のことです。

2020/12/13 イザヤ7:1~14  処女降誕とインマヌエル

 ・アーメン or ノー
 南ユダ王国のアハズ王と民衆は、敵国侵略情報に怯えて大きく心が動揺しました。預言者イザヤは、彼らに対して主なる神に立ち返って信頼するように勧めました。「もし、あなたがたが信じなければ、長く立つことはできない」とあります。「信じる」もアーメン、「立つ」もアーメンという言葉で、信仰と不信仰が人生を大きく分けることを訴えています。

・処女降誕とインマヌエル
 アハズ王は拒絶するのですが、イザヤは後の民のために処女降誕とインマヌエルの預言を語ります。「処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」。この預言はアブラハム預言、ダビデ預言に基づくもので、「男の子」は神が人となったキリストのことです。 彼はダビデの王国を確立し、罪と死をも支配する永遠の王となります。それゆえ諸国民にとっても希望と救いとなります。

・クリスマスの奇跡とアーメン
 処女降誕とインマヌエルの奇跡はこのときから約700年後にマリヤとイエスによって実現します。そして、明らかにされたのは、あえて女から生まれた神の子のへりくだりと愛の熱心さです。
 そして私たちの場合も、彼が私たちのインマヌエルとなるためには信仰が必要とされます。そして私たちが立つのも倒れるのも、彼をアーメンと告白するか否かによるのです。

2020/12/6 ルカ福音書8:40~42,49~56 ヤイロの娘の復活

 ・ヤイロの娘の病
 会堂管理者ヤイロは主イエスのもとに来て、自分のひとり娘の癒やしを求めました。彼にとって、その娘は何よりも大切な宝でした。「12才ぐらい」とありますが、その「12」とは、ヤイロの愛の幸せの完全数と考えることができます。しかし「死にかけて」とあるように、娘の死はヤイロの一切の終局を意味しました。

・恐れないで、ただ信じる
 主イエスがヤイロの家に行く途中「あなたのお嬢さんはなくなりました」という訃報が届きました。この時、ヤイロは絶望の淵に落とされる思いでしたが、主イエスの言葉によって、支えられました。「恐れないで、ただ信じなさい」です。主イエスの言葉は神の言葉なので、死の現実と恐怖に打ち勝ちます。ヤイロに要請されているのは、ただ信仰だけです。

・ヤイロの娘の復活
 主イエスはヤイロの家に入ったときに父母と3人の弟子たちだけを連れて、娘の寝かされている部屋に入り「娘の手をとって」「子どもよ。起きなさい」叫んだ時「娘の霊が戻って、娘は直ちに起き上がった」とあります。これによってヤイロの幸福も再び、舞い戻ったのですが、その幸せは、先のものより幾倍も強い土台に築かれることになりました。

  私たちの家庭の幸いも、主イエスの言葉と復活信仰によって盤石となるのです。

2020/11/29 ルカ福音書8:40~48 長血の女の信仰

 ・長血の女
 本日の箇所では、主イエスと弟子たちがヤイロの家に行く途中、ある女性と出会ったことが記されています。その女性は長血を患っていて、出血と苦痛の中にあり、しかも律法では汚れた者とみなされていました。他の福音書では、医者通いで財産を失って、まったく不幸のどん底にあったことが記されています。

・着物のふさに
 彼女は「イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわり」ました。 それは自分の汚れを意識したためであるとともに、イエスは汚れた者をも受け入れ、癒やしてくださるという信仰によりました。小さな信仰ですが、確かさを感じます。
 彼女が癒やされたことを自覚した時、主イエスもまた「わたしから力が出て行くのを感じた」と語られました。信仰による接触は、単に着物の房にとどまらずに、イエスとの霊的な接点となったからです。

・長血の女の信仰
 彼女はイエスの求めに従って、不承不承に御前に進み出て、人々の前で癒やされた次第を証ししました。それに対して主イエスは「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです…」と語られます。彼女が主イエスの前に出て明確な告白をすることと、主イエスによって信仰によって癒やされたことを明確に教えられる必要があったのです。
 このようにして、彼女の小さな信仰は不幸から幸いへの大きな転換点となりました。