・目を覚まして 世にとらわれる私たちは、世の楽しみ、煩い、絶望、悲しみの中で、霊の目は眠った状態になります。そこで「祈り」という手段を通して、目覚める必要があります。その時に、心に神の臨在とキリストの愛と救いの世界が、明るく照らしだされます。 パウロは福音宣教を担う者たちのために、そして自分自身のためにも祈るよう要請します。「キリストの奥義」は、多くの人々の祈りの力でベールが取り去られて、宣教者によって力強く語られ、証しされるからです。 ・外部の人に対して 「外部の人に対して賢明にふるまい…」とあります。外部の人々はキリスト教についていろいろな偏見を持っている場合があります。絶えず「鳩のようなすなおさ」と「蛇のような」賢さが必要となります。そのためには「いつも親切で、塩味のきいた」ことばが大切です。そのようにして「地の塩、世の光」とされます。 ・最後のあいさつ パウロは彼の周囲にいる弟子たちを紹介した後「私が牢につながれていることを覚えていてください」と自筆であいさつします。「牢」はパウロがキリストの使徒であることの証そのものでした。またキリスト信仰者は、どのような境遇の中でも「目を覚ましていれば」、明るく輝く存在であることを示すことばとなっています。