・キリストの割礼
パウロは異端の教えと対比しながら、キリストによる救いについて語っています。「肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けた」とあります。異端者らは目に見える印、割礼を強調していました。しかしパウロは、真の割礼は信仰による目に見えない割礼であり、「キリストの割礼」と語ります。それだけが、罪の支配下にある「肉のからだを脱ぎ捨てる」ことができるのです。
・キリストと共に生きる
次にバプテスマによって、信仰者が「キリストとともに葬られ」「キリストとともによみがえらされた」ことを示します。バプテスマは目に見える洗礼ですが、本質は信仰であり、目に見えない聖霊の業が中心です。また、パウロは、現在のキリスト者の状態について「神は…キリストとともに生かして」と語ります。生きるとは、神を喜び、神のために人生を歩むということです。さらにパウロは、キリスト者は一切の律法の規定と責めからも解放されていることを示します。
・キリストと共に勝利者
それゆえキリスト者は、一切の束縛としがらみから自由にされた勝利者とされています。私たちは、このことを、日常の生活スタイルで現し、また礼拝において証しするのです。