・アテネにて
17章はパウロがアテネで福音宣教をしたことが記されています。アテネは古代ギリシヤ文化の中心でしたが、当時もその名残を留めていました。パウロの説教はヘレニズムとヘブライニズムの出会いと言うことで注目されます。まずパウロの反応は町を歩きながら、偶像で満ちていたので憤りを覚えたことから始まっています。
・アレオパゴスでの説教
さらにパウロはアレオパゴスに連れて行かれて、そこで弁明する機会が与えられています。彼は巧みに接点を持ちながら語ります。第1に「宗教心」、さらに「知られない神に」という祭壇を取り上げています。どの民族も宗教心を持っていても、それが腐敗しているので神を明確に見いだすことはできません。ただ未知の神にあこがれるだけというのが現状なのです。
・悔い改めと裁き
そこでパウロは、明確に、天地創造の唯一神を示し、石や金属で造られた偶像神から離れるように促します。それは、もはや猶予の期間は過ぎて、神は諸民族に悔い改めを奨励しておられるからです。さらに「ひとりの人」を遣わして、その方を基準として、最後の審判がなされることを予告します。
人々は、死者の復活のことを聞いたときにあざ笑い離れていきますが、神によって心照らされた人々は信仰にはいります。ここでも福音は「神を見ることのみを願う人々にとっては、十分な光があり、反対の気持ちを持っている人々にとっては、十分な暗さがある」は真実でした。