2018/8/26 使徒の働き15:1~21 エルサレム会議


・律法問題
 ユダヤ地方からアンテオケ教会に下ってきたある律法主義の教師たちは「モーセの律法に従って割礼を受けなければ…救われない」と主張しました。パウロたちはただ信仰だけで救われると教えていたので、両者は激しく対立することになりました。そこでパウロたちはエルサレム教会に行って使徒と長老たちとこの問題について、協議することにしました。

・エルサレム会議
 エルサレムにおいても、律法主義の教師たちは激しい主張をしていました。そこでこの問題について、主だった者たちで会議を開くことになりました。いわゆるエルサレム会議です(AD48)。会議も激しい論争となりましたが、最後にペテロが立って異邦人が信仰だけで聖霊を受けたことを証言します。それは神が異邦人を信仰だけで義として受け入れた証拠であり啓示であると語ったのです。その後、ヤコブが預言書を引用してペテロの意見を支持しました。それが結論となり、信仰義認の教理が確定しました。

・内なるエルサレム会議
 私たちの教会では、聖書が語るとおり信仰義認の教理を受け入れ、それを告白しています。しかしこの教理は、一人一人の信仰生活の中で、深められ確立されなければなりません。生まれながらの人間は、律法主義の体質を持っています。つまり、自分の業や能力により自己評価をしたり、周囲の評価を求めるのです。しかし、信仰だけで義とされ、愛の中にあることを確信すべきです。

2018/8/19 使徒の働き14:19~28 苦難と救い


・迫害と石打
 パウロはルステラでの宣教を進展させていましたが、ユダヤ人と異邦人の保守派が彼らを迫害します。「パウロを石打にし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した」とあります。「わたしの名のために、どんなに苦しまなければならないか」が改心時の啓示でしたが、ちょうどその体験をしたのです。しかし苦難の中に神の恵みが満ち溢れます。「 弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った」 とある通りです。

・苦難と救い
 パウロたちは、さらに町々で福音宣教をなし「多くの人を弟子と」しました。福音を信じた人々が、より福音に学び、キリストに従うように導いたのです。そして弟子としての覚悟を次のように語ります。「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない 」。地上において、多くの苦しみを体験することは、神の計画であること。弟子たちはその苦しみの中で、信仰を強くされていくということです。

・苦難と救い
 ローマ5章にも次のようにあります。「3患難が忍耐を生み出し、4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」。このことは、現代の弟子たちについてもまったく同じです。特に日本という異教的土壌では、宣教の困難、信仰の試みがあります。さらに様々な病気や困難による苦難もあります。その時に私たちは弱るのですが、信仰を保つとき、いっさいが救いにつながるのです。

2018/8/12 Ⅱサムエル21:10~14,24:25 平和の祈り

この国の祈り
 Ⅱサムエル記の2つの箇所は、国の災難に際して、王とともに民が心を痛めつつ祈ったことがしるされています。その結果「神はこの国の祈りに心を動かされた」とあり、神は憐れみの心を前面に出して、災難から救ったのでした。
 私たちキリスト者は、この国では少数ですが、この旧約聖書の物語にならい、この国のために祈る手を下ろしてはならないと思うのです。

・平和の祈り…沖縄戦
 今から20年近く前に日本伝道会議が沖縄で開催されました。そこで講演や様々なシンポジウムがもたれました。その中で、金城牧師の沖縄戦の証しに心が打たれ、平和の祈りに導かれました。金城牧師は、当時16才でしたが、渡嘉敷島集団自決の現場にいました。日本軍玉砕の報を受け、教育されたとおりに村人の自決が起こりました。彼は母と弟妹を殺害しました。彼は色々な事情から生き残り、終戦後、島を出て改心しました。それで帰国して戦争の悲惨さと罪を告白するようになりました。
 
・浦上天主堂被爆
 また原爆投下の悲惨を知ることも祈りの促しとなります。特に長崎原爆投下時、ほぼ爆心地にあたる浦上天守堂ではちょうど集会が行われており、6000人が即死、2500人が放射能疾患で死んだそうです。人々の心には「どうして教会に…」という深い疑問が起こったのですが、悩む以前に、生き残った信徒は、会堂を再建し、この国の平和のために、切に祈っているということでした。


2018/8/5 使徒の働き14:1~18 むなしいことを捨てて


・信仰と癒やし
 ルステラでパウロが福音を語ったときに「足のきかない人」がいて、信仰心を持ちました。そのことを察知してパウロは「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と命じると彼は飛び上がって、歩き出しました。全くの異邦人でも信仰によって癒され、救われることが証しされたのです。

・むなしいことを捨てて
 しかしルステラの人々は、まったく的外れの応答をしました。彼らが神々の化身と早合点して、彼らに対して生け贄を献げようとしたのです。異邦人の彼らは、昔から偶像崇拝に染まっていたからです。
 そこでパウロとバルナバは、自分たちは、人間に過ぎないことを必死に訴えました。さらにそのようなむなしいことを捨てるようにと語ります。「むなしいこと」とは、空虚なこと、意味がないこと、益にならないことです。

・生けるの神に立ち返る
 さらに「生ける神に立ち返るように」と訴えます。「生ける神」とは目に見えないが実際に生きて存在する神ということです。その神こそが、地上の生活においてだけではなく、永遠に「あなた方の心を満たす」ことのできる方だからです。

 パウロのことば、そのまま現代日本にも、当てはまることばです。

2018/7/29 使徒の働き13:13~51 異邦人の光


・第一次伝道旅行後半…小アジア
 パウロの一行はキプロス島の次に小アジアに向かいました。彼らはまずユダヤ人の諸会堂で福音を語りました。途中、マルコは一行から離れてエルサレムに帰りますが、異邦人の世界深く入っていくことに抵抗があったようです。

・パウロの福音宣教
 パウロはある会堂で福音を語りますが、それは次のような内容です。モーセ以来の神の民の歴史。ダビデの時代に救いの約束が与えられ、その預言に従って救い主イエスが到来したこと。イエスは律法では不可能であった罪の赦しを実現し「信じる者はみな、この方によって、解放される。つまり信仰義認を明確に語っています。
・異邦人の光
 この福音に対して、ユダヤ人の多くは強く反発し、拒絶します。彼らは律法を否定する福音にどうしても同調できなかったのです。それに対して多くの異邦人は喜んで受け入れました。そこでパウロは「私たちはこれからは異邦人のほうに向かいます」と宣言し、また旧約預言を引用します。すなわち「わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした」。
 父の神は、御子を犠牲とし、御民ユダヤ人を犠牲にして、福音を異邦人にもたらすというご自身の意志を明確にされたのです。
 私たち日本人は異邦人中の異邦人ですが、神の愛と福音宣教の矛先が、私たちの国に向けられていることがよく分かります。