2017/7/30 エレミヤ2:1~13 若いころの誠実



・若いころの誠実
 神は民との関係を婚姻関係にたとえて語っています。「若かったころ」すなわち、出エジプトと荒野の40年の間は、基本的に民は神に対して「誠実(ヘセド)」を尽くし、献身的な愛をもち、従順であったと。そして神も民に対して誠実を尽くし、聖なるものとして、外敵から守ったのです。神はその時代の民の姿をクッキリと心に刻み、覚えていました。

・むなしいものにより、むなしく
 ところが「乳と蜜の流れる地」カナンにはいった途端、民は主なる神を捨てて、土着の偶像神バアルを慕うようになりました。それは「むなしいもの」「無益」なものでした。その結果、自分たちも「むなしいものとなった」とあります。それは空っぽの人間と言うことで、本来の人間性を失い、生活を破綻させ、神に捨てられて滅びに定められた物と言うことです。

・初めの誠実と愛に立ち返る
 旧約の民が、堕落と罪に突き進んでいた原因について、2つのことが指摘されています。困難なときに、神を呼び求めなかったこと、指導者たちが神のことばを教えなかったことです。
 エレミヤの預言は、同時代の人々には受け入れられませんでした。しかし破滅と捕囚の憂き目にあった後代の者たちは、その預言から教訓を得て、神に立ち返ることができました。しかもその立ち返り方は、徹底していたのです。
 私たちは新約の民ですが、同じように、絶えずみことばに促されて「初めのころの誠実、愛」に立ち返るべきです。