・預言者と痛み
「私のはらわた…私は痛み苦しむ」とエレミヤは自分の内なる苦しみを表現しています。「腸」とは内蔵のことですが、それが物理的にも痛むほどに彼は激しい心の痛みを覚えています。さらに「私の心臓の壁よ。私の心は高鳴り」と心臓までもが、破けるほどに鼓動している様を表現します。
・仲介者としての痛み
エレミヤの痛みの原因は、第一に民の罪に対する怒りです。彼らは幾ら諭してもかたくなに罪を続け、ついに神の裁きを招いているのです。痛みの原因の第二は、民に対する愛ゆえです。罪深い民であるけれども、なお捨てきれずに愛し、それゆえに神の裁きを前にして、激しく痛んでいます。
これはエレミヤが神と民の間に立って仲介者の働きをしているからでした。彼は痛みつつ、神にとりなしているのです。
・神の痛みを体現する
エレミヤの痛みは、彼自身の正直な感情でした。しかし彼の痛みは、彼自身の痛みだけではなく、彼を預言者として任命した神の心の痛みを体現していたと言えます。実際に、エレミヤ31:20に「わたしのはらわたは彼のためにわななき(別訳:痛み…主の御告げ。」とあります。彼は言葉で神を知らせただけではなく、彼の痛みと涙によって神の愛を現していたのです。
私たちキリスト者は、エレミヤとは異なった時代に生きており、何よりも救いの喜びによってキリストを証しします。しかし同時に、同胞のために痛みを覚えて祈り、証しすることも大切です。