2016/3/6 ヨハネ福音書19:1~16 この人を見よ



・イバラの冠と紫の衣
 総督ピラトはイエスを兵士たちに渡して愚弄させ、ユダヤ人の憐れみを誘おうとしました。しかし悪者のあわれみは残忍で、虐待はエスカレートしています。人間の内にある残虐性が顕わになっているのです。
 さらには「いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた」とあります。

・この人を見なさい
 ピラトは無様な姿のイエスをユダヤ人の前に連れ出して「さあ、この人です」と語ります。しかしユダヤ人は憐れむどころか憎悪と殺意をむき出して叫びます。「十字架につけろ。十字架につけろ。」と。十字架刑は当時、最低最悪の死刑手段でした。ユダヤ人たちは、神の子に対して十字架を要求したのですが、それは神に対する罪人たちの態度と言葉の本質です。

・私たちの模範として
 「さあ、この人です」という言葉は西欧で“エッケ ホモ”と言い、理想の人間像とされることがあります。侮蔑された神の子の姿こそ、正しい人間の姿であるということです。それは地上においては罪悪が横行し、罪のない正しい人々がしばしば虐待されたり、非難されたり、嘲笑されたりすることが多いからです。
 ですから私たちが、毎日の生活において非難や嘲笑の対象になったとしても恥じることはありません。むしろ神のため、義のためにうける非難なので、喜んでいいのです。