2016/2/14 ヨハネ福音書18:1~11 イエスの捕縛



・園で
 イエスの一団はオリーブ山の園に行きました。そこに彼らの隠れ家があったからです。しかし、ユダの手引きで兵士と役人たちが、捕縛のために、そこにやって来ました。兵士だけで200人以上の集団でした。満月の夜でしたが、彼らは灯火と松明を手にしていました。イエスと弟子たちをひとりも逃さないという決意でした。

・「それはわたしです」
 その一団に対して、主イエスは逃げも隠れもせず、むしろ弟子たちを救うため、前に出て自ら進んで捕縛されました。彼らがナザレのイエスを探している旨を告げたときに、「それはわたしです」と語っていますが、その時に敵は「後ずさりし…地に倒れた」とあります。イエスの臨在とその言葉に神としての権威と力があったからです。

・だれひとり失われず
 「ただのひとりをも失いませんでした」とありますが、それはイエスの祈りであり、意志でした。その祈りと意志は、この時だけではなく弟子たちの生涯を支配しました。また罪と死の力をも、退ける祈りであり、意志です。
 またイエスのみことばは、イエスの祈り、意志、力、愛のすべてが凝縮して私たちに提供されているものです。さながらイエスの盾です。私たちはイエスのみことば頼るときに、どのような危機からも守られるのです。