・仮庵の祭りと光
仮庵の祭りには、神殿の庭に大きな燭台がともされました。それは荒野の旅の際に主なる神が「昼は雲の柱、夜は火の柱」となって民を導いた出来事を記念するものでした。事実、荒野の民は、そのようにして神に導かれて無事に約束の地に到達できたのです。
・わたしは世の光
旧約の故事は全てキリストの予型です。そこで主イエス・キリストは「わたしは世の光です」と宣言しています。世は霊的に全くの暗闇で、そのままでは人は滅んでしまうのです。しかし、主イエスは唯一の光として輝き、人々を救いへと導きます。「わたしは…です」とは、絶対的な存在者であることを示す言葉です。つまり、私たちがどのような試練の中でも、どのような絶望や死の淵に置かれている時でも、主イエスは何にも妨げられずに光り輝き、私たちを、救い出すという事です。
・いのちの光を持つ
「わたしに従うものは、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つ」とあります。私たちはただ、キリストを外に輝いている光として見ているだけではありません。彼を信じて、従うときに、彼は私たちのうちにとどまって、私たちを照らす光となってくれます。そして、困難な地上の生涯を照らし続けて、正しい道を示し、また励ましとなり、力となります。さらには、後の世に続く生命を育んでくださるのです。