・「わたしのことばに」
主イエスは、信じたユダヤ人たちに対して「わたしのことばにとどまる」ことで弟子となることを示します。上辺だけの信仰では「岩地に落ちた種」のようにすぐに枯れるからです。「とどまる」とは、福音の言葉を信じて学び、それを心に形作っていくことです。
・真理を知る
真理とは「現象の背後にあって決し変わらないもの」を意味します。ユダヤ人たちは律法が「真理と知識の具体的な形」と信じていました。しかし律法は人の外側から命令するだけの文字に過ぎません。主イエスは、私たちの内に形作られて「知られる」真理について語っています。それは第1にご自身のことであり、またそれに伴う内なる恵みと力です。
・真理は自由に
「真理はあなたがたを自由にします」とあります。自由とは身体的な自由のことではなく、内面的、霊的な自由のことです。それは第1に罪からの自由を意味します。生まれながらの人はすべて罪の奴隷です。それは律法を持っているユダヤ人も私たちも同様な悲惨な状態です。しかし、真理であるキリストとみ言葉を心に受け入れ、形成していくときに、キリストに働いた自由と生命が私たちにも働くようになるのです。
そこで宗教改革者のルッターは次のように語っています。「それゆえに、言葉とキリストとをよく自己のうちに形成し、この信仰をたえず鍛錬し、かつ強からしめることが、当然すべてのキリスト者の勉べきただ1つの行いであり修行でなければならない。」*「キリスト者の自由」より