2014/6/15 父の日招待礼拝 Ⅱコリント1:3~4 慈愛の父 恵みの神

・聖書における神像
 聖書の神観は、私たち父親の原型としての側面があります。その神は、創世記では、神は、天地の創造者として描かれ、さらに出エジプト記では、律法の賦与者で違反者を罰する審判者として描かれます。しかし、預言書や詩篇には「私たちの父」という表現が出てきます。それは単に厳しい審判者としての父親像ではなく、むしろ苦しみ叫ぶ者を顧みて憐れんでくれる父としての姿です。

・慈愛の父、恵みの神
 この神観は、主イエスの贖いを受けた人々に対してさらに明確になります。Ⅱコリント一章で使徒は次のように記します。「慈愛の父、すべての慰めの神」。「慈愛」とは、痛みや悲しみを覚えている者に対して、心を傾け、深い同情心を覚えることです。「慰め」とは、近くにいて相手の立場に立って、慰めと励ましの言葉を与えることです。
 神は厳しく、遠くにいる存在のようにイメージしがちですが、これがキリストを通して明らかにされた父としての神の姿です。

・私たちも慈愛と慰めの父に
 この世界に生きる人間は、常に孤独で心傷ついている者です。私たちの子供たちも同じです。その子供たちに対して、私たち父親が、神に学び、神に真似て「慈愛」と「慰め」を与える者となることができます。それによって、私たちの子供たちと社会が、大変な癒やしを受けることになると信じるのです。