・「内密」
主イエスは「公にではなく…内密に」祭りに上ったことが記されています。主イエスの日常生活における基本スタイルは「内密」「隠れて」でした。このあり方は、旧約聖書以来、神と御業についても同様で、世の人の目には「隠れている」という性質を持っています。
・教えと当惑
祭りの最中、主イエスが公然と「宮で教え始められた」とあります。その教えは旧約聖書をご自身の解釈でもって語ったもので、いわゆる福音です。ユダヤ人たちは、主イエスが「正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか」と当惑しました。聖書に基づきしかも理路整然とした語り方だったのです。
・福音の真実
「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のもの」と主イエスは語ります。
「わたし」とは人としての側面での「わたし」ということです。 しかし他方、主イエスは神によって生み出され「遣わされた」という神として側面を持ちます。従って、主イエスの教えは人間的な知恵によるのではなく、隠れた神の教えです。
・信仰によって明らかに
現代では多くの人々が主イエスの福音を知り、興味を持っていますが、福音の真実を知るためには、ただ見て聞くだけではなく、実際に信じることが大切です。その時に、たとえ試練のただ中にあっても、福音に啓示されている神の恵みと愛を存分に知り、満たされる者となるのです。