2012/12/23 ルカ2:8~20 天に栄光 地に平和

・闇の世界
  クリスマスに登場するのは、ヨセフとマリヤ夫妻、羊飼いたちです。彼らは、世の辛さ、貧しさ、惨めさを嫌と言うほど味わっていた人々でした。ですから、クリスマスの夜の風景は、彼らのおかれた世の闇を暗示しているといえます

。 ・天使の御告げ
  その彼らに御使いたちが現れて、新しい時代の到来を告げています。御使いガブリエルは御子の誕生を告げ、「天の軍勢」は御子よって興る新しい世界を示しています。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
  新しい時代は、天地創造者である神に栄光が帰され、また神の民こそが、平和に満たされるということです。

 ・「天に栄光 地に平和」
 新しい救いの世界は、ただ幼子イエスを通して実現します。彼は人の目にはただのチッポケで貧しい赤ちゃんですが、聖霊によって心の目が開かれた人々には、「神の栄光」の輝きそのものであることが明らかにされます。
  羊飼いたちは御使いの言葉を信じて、幼子の正体を見いだして、互いに喜び、そして神を賛美して、救いの世界に入れられています。

 ・イエスによって描く
  私たちにも、福音によって御子が提供されています。それは目に見えない存在ですが、御使いの言葉に従って御子をよく見つめるときに、救いの世界が輝いています。私たちは、御子を信じることで、その世界に入ることができ、私たちの内にも御使いたちの賛美が生まれてくるのです。

2012/12/16 Ⅱコリント8:9 クリスマスの恵み

・クリスマスの恵み
  恵みとは、相手のために良くし、相手を生かし、その心を喜ばせることです。そして、それが受け入れられたとき、与える側にとっても、受ける側にとっても、それは良いこととなり、喜びとなります。  神はキリストを通して、私たちに対して恵みを示されました。「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」とあるとおりです。
 キリストの富とは、神の子として立場と権威、聖さと義、あらゆる祝福です。しかし、それらを捨てて、貧しくなられました。つまり、人として地上に誕生し、最後はすべてを奪われて十字架の死にまで至りました。呪われた者、もっともに貧しく、卑しい者とされたのです。

 ・恵みの交換
  これらは「あなたがたのため」とあるとおり、私たちの貧しさをその身に受け、私たちに一切の富を与えるためでした。
  これは恵みの交換です。つまり、対等のものではなく、富と貧しさ、聖さと汚れ、癒しと傷と、安楽と重荷という相反するものの交換です。この交換によって、私たちは富む者となるように招かれているです。

 ・恵みを受け入れる  クリスマスの時は、キリストが貧しい姿で地上に誕生したことを記念するときであり、その恵みがクッキリと現されるときです。私たちはもう一度、神がキリストを通して差しだしておられる恵みを覚え、心から受け取りましょう。

2012/12/9 イザヤ30:15 立ち返って静かに

・世にある人間
 神様は人間が2つの世界に依存して生きるように創造されました。第1は神の世界、次に被造世界(世)です。人は堕落以降、神との交わりを避け、目に見える世界に向かうようになりました。しかし、そこは罪の世界、滅びの世界、決して平安はありません。

 ・立ち返って静かに
 「立ち返って静かに」とイザヤは語ります。「立ち返る」とは、振り向くと言うことですから、私たちの心の目を世から離して、神に向くようにと勧めています。神こそが、私たちの心の目を向ける第1の対象です。
 その際に「静かに」する必要があります。私たちの神経を刺激していた世の煩い、囚われの思いを沈める必要があります。その「静かさ」の中で、神のみことば、神の御顔の光が顕わにされるのです。その交わりの中で、神が愛と全能の力で「あなた」を救ってくださることが分かります。

 ・落ち着いて信頼する
 次に「落ち着いて信頼する」とあります。「落ち着く」とは、周囲のことに煩うことなく、心を穏やかにすることです。「信頼する」とは、大丈夫だと信頼して心を安らかにすることです。神の前では熱狂も、頑張りも必要なく、ただ「落ち着いて信頼する」ことが大切なのです。
 神は、内側からも力を与えてくださり、私たち自身を通して、問題を克服させてくださるのです。

2012/12/2 イザヤ28:16 礎の石イエス

・旧約の世界と基礎
  あらゆる建造物には、礎が据えられます。それは重要なことです。極端を言えば、見える部分は氷山の一角であり、その下には大きな基礎があると言うことです。
  丁度そのように、旧約の世界にも目に見える社会と国家の背後には、礎がありました。それはモーセを通しての契約の箱であり、それが安置されたエルサレム神殿でした。

 ・礎の石イエス
  「私はシオンに一つの石を礎として据える」とあります。神は古いものをよしとせず、それとは別の礎を据えることを示します。それは「試みを得た石、堅く据えられた礎の尊いかしら石」とあります。つまり新しい救いの世界の礎です。
  この新しい「礎の石」とは、イエス・キリストのことで、彼は確かに「試みを得た石」「尊いかしら石」です。つまり、処女マリヤから生まれ、十字架の死にまでも従い、三日後に復活しまして、公に神の子として証明された方です。これ以前にもこれ以降にも、このような盤石な礎はありません。

 ・信じる者はあわてることがない
 「これを信じる者は、あわてることがない」とあります。信仰とは、契約のサインと同じです。つまり「イエスこそ神の子で、私の救いです」と心で信じ、口で告白するのです。その信仰で、神は「私」をイエスという礎の上に置いてくださり、どのような危機からも救ってくださるのです。地上の様々な危険から救い、罪と死の脅威からさえ救い出すのです。