2012/10/21 イザヤ14:12~15 「暁の子」と傲慢

・暁の子
  「暁の子」とは金星のことで、暁の空にひときわ輝く星です。イザヤは地上の権力者、特にバビロンの王をこの星にたとえました。確かに、彼は当時の世界を征服し、最高の輝きを放っていました。しかし、それだけではなく高慢と傲慢の光もそれ以上に放っていました。地上の権力者の光は、みな虚栄の光を放ちます。それはまたサタンの持つ光です。

・「神のように」という傲慢
  「いと高き方のようになろう」つまり「神のようになろう」という思いは、傲慢の極みです。聖書では、人間の罪の本質として描いています。これは単に昔の王たちの傲慢の姿だけではなく、現代人の姿です。
  この時代は個人が自由を持ち、それぞれが自分の世界を持つことが可能です。その闇の世界で、どこまでも傲慢な自我をを太らせ、勝手に輝かせることが可能なのです。しかしそれは罪の暗闇に輝くだけです。

 ・傲慢の末路
 「あなたはよみに落とされ」とあります。よみとは神から見放された者たち、死者たちのおぞましい世界です。暗闇の中に輝く者の死後は、天国ではなく、「よみ」であり「穴の底に落とされるだけです。  それゆえ私たちは決して傲慢の罠にはまってはならず、その結末をよく覚えることが大切です。

 ・神をのみ輝かす 
  また私たち自身としても、虚栄をはったりすることなく、ただ神にのみ栄光を帰することに心を傾けることが大切です。そこで、礼拝を重んじ、礼拝の場において、私たちの自我を砕き、神に心からの賛美をささげるのです。