・キリスト者の社会倫理
キリスト者の社会倫理は、かつての律法のように、細々とした形だけの規定ではありません。むしろ状況倫理であり、基本的な心構えでもって様々な状況に対処します。その第1に「何の借りもあってはいけません」です。「借り」とは、「負い目」ということで、金銭を借りるということだけではなく、様々な害や迷惑を与えて負い目を持つということをも意味します。そのようにして、良い市民として振る舞うのです。
・愛の負い目を持つ
第2は、「愛の負い目」を持つことです。キリストが私たちを愛してくださったように、私たちは先に隣人を愛する姿勢を持つと言うことです。愛とは、隣人を助け、癒し、建て上げる愛で、すべて隣人の益となることをなし、幸せを願うことです。この時に、世に氾濫している自分本位の愛と混同してはなりません。
・愛は律法を全うする
旧約時代の律法の根本精神は愛でした。そして「愛は律法を全うする」のです。愛はまた、人間社会にあるすべての道徳規範の根本精神です。私たちはキリストから神の愛を学び、教会において愛の訓練を受け、さらに世において真実の愛を行使して生きるのです。
世の道徳規範は形骸化したり、希薄化してしまうのが実情です。世の人々も、キリスト者の真実な愛と愛に基づく行動を期待しているのです。