2011/11/27ローマ11:11~24 慈しみに留まる

・彼らの違反と私たちの救い
 初代教会クリスチャンの中には、ユダヤ人の違反ばかり見て敵対視する者がいました。そこでパウロは、ユダヤ人を通して異邦人が多くの恵みを受けていることを指摘します。
 まず第1に、彼らの違反を通して福音が異邦人に及んだことです。もしユダヤ人の大勢が改心していたら、なかなか福音は民族の枠を超えて異邦人に伝わることがなかったのです。そこに神の恵みと慈しみがあります。

・彼らの完成と私たちの栄光
 第2に、神は現在と将来、彼らが福音にたちかえるという計画を持っておられます。彼らが復帰することは、彼らのみではなく、異邦人にとって「すばらしいもの」をもたらすことになります。つまり「彼らの捨てられることが世界の和解」「彼らの受け入れらることは、死者の中から生き返ること」となるのです。

・さばくな、高ぶるな
 私たちは、周囲の人々や集団を神に背を向けて滅びに向かうと裁いてしまいがちです。しかしそのような人々でも、背後では不思議な神の支配があります。私たちは早まって裁いたり、非難したりしてはならないのです。それは誇ること、高ぶることです。むしろ神を「恐れる」姿勢が大切です。

・神の慈しみに留まる
 私たちは自分の罪とむなしさを示されて、信仰に導かれました。その背後に、私たちに対する神の慈しみがあったからです。私たちがそこに留まるためには、私たちも神の前にへりくだって、同じ慈しみの心で人々を見、対応することです。

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