・信仰による救い
人が義と認められること、すなわち救われるためにはただ信仰によるということが言明されています。信仰とはイエスと福音を信じるということです。当時のユダヤ教から様々な異教に至るまで、ただ信仰によって救われると教えるところは皆無です。いずれの宗教でも何らかの行いが強調されるのです。肉の性質は行いや業に敏感ですが、信仰と言うことには無頓着になりがちなのです。しかし小さく見える信仰に神の救いの一切が凝縮されています。
・信仰の原理
信仰自体は小さいものでも、その背後にある原理は、救いの巨大システムです。それは目に見えない御霊のシステムで、後で生命の御霊の原理と語られることになります。信仰の原理イコール御霊の原理なのです。
ちょうど巨大なオートメーションの機会でも、起動は小さなスイッチです。そのスイッチさえしっかりとオンになっていれば、巨大なシステムは動いているのです。
・信仰の原理の結実
信仰の原理は救いの原理ですが、パウロは幾つかの具体的な結実について記しています。1つは人間の高ぶりの破壊と神賛美。1つはユダヤ人だけではなく、すべての異邦人をも救い、さらにどのような小さな者も救い、深く広く救いが広がるのです。1つは旧約の人々が到達できなかったこと、すなわち律法を確立させると言うことです。
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