・旧約聖書でも信仰義認
神が人を受け入れる手段はいつも信仰の道でした。それは旧約聖書の世界でもまったく同じです。
ローマ人の手紙では、使徒パウロはその代表者としてアブラハムやダビデだけを上げていますが、すべて神に喜ばれた人々は信仰の人であったことをヘブル11章などで明瞭に示しています。
・信仰による父祖アブラハム
アブラハムはユダヤ教でもイスラム教でもキリスト教でも、自分たちの父祖としています。彼が人間の歴史に与えた影響は測り知れません。何が原因で彼は祝福されたのでしょうか。
それはただ彼の信仰です。彼は神によって子孫が空の星のようになると示されたときに「神を信じた」のです。信じるとはアーメンということです。神は約束の通りに実現なさる力と恵みの神、真実な方ということを心から認めたのです。「それが彼の義とみなされ」ました。
・ダビデの場合
ダビデは旧約聖書きっての英雄であり、最大の祝福を受けた人物です。彼は勇者として、賛美者、預言者として神に仕えましたが、大きな罪を犯していました。それによってすべての業も虚しくなり、むしろ呪われた者となったのです。
彼が神によって罪が赦され、祝福を回復させたのは信仰でした。「砕かれた悔いた心」こそが、どのようないけにえや善行よりも神の前に尊いいけにえだったのです。
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