2010/3/21 マルコ11:12~20 祈りの家

・いちじくの木
 主イエスはいちじくの木に実がなっていなかったので、それを呪いました。この出来事は、神のためになんの実もなさなかったエルサレムと神殿に対する呪いを暗示します。

・宮きよめ
 宮きよめの出来事は神殿の異邦人の庭で置きました。異邦人の祈りを無視して、商売がなされていたのです。主イエスは彼らを「追い出し」「腰掛けを倒し」「通り抜けることを・・・お許しにならなかった」のです。
 このようにして、主イエスは神殿が商売や欲のために用いられるべきではなく、聖別されるべきところであることを強く示しているのです。

・「祈りの家」
 「祈りの家」とは、神との交わりの場、聖なる空間という意味があります。旧約の神殿は、ユダヤ人だけではなく異邦人にとっても神との交わりの場です。新約においては、教会がその役目を果たしています。
 教会には、色々な側面があります。互いの交わり、集会、会議などなどです。しかし教会の本質は神との交わり、つまり霊的な礼拝と祈りです。このことを見失ってはなりません。

・世における「祈りの家」
 世の人々は、不安とおののきの日々を過ごしており、「聖なるもの」を渇望しています。教会は何よりも「祈りの家」となって世に聖なる空間を提供しています。「地の塩、世の光」との御言葉がありますが、まさにそのとおりです。

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