2010/1/31 マルコ10:17~22 金持ちの青年の話

・金持ちの青年
 イエスの元にきた人は金持ちの青年役人であったようです。財産家で身分が高く、生まれも能力も「良い」人でした。彼は「永遠の生命」を求めてイエスの元に来ましたが、「尊い先生」という呼び方に、彼の求道手段が垣間見られます。「尊い」とは「良い」「善」等という意味があり、彼は自己愛の上に多くの「良さ」を積み上げて、「永遠の生命」に到ると考えていたのです。
 しかし主イエスが指摘するように神だけが「尊く」「良さ」「善」であるお方です。人間には「尊さ」などなく、自己の芯が腐っているのです。青年の求道手段は、根本的に誤っていましたし、律法の本質からも遠く隔たっていました。

・青年の求道心の誤り
 主イエスは青年の求道心の誤りを見抜き、彼自身も気づくように語ります。
 「あなたには、欠けたことが一つあります。・・持ち物をみな売り払い」
 自己愛による求道は自己矛盾に陥ります。神が求める「良さ(善)」はそれを捨てる隣人愛であり、ただイエスと恵みを受けることによってのみ可能です。

・青年の悲しみとイエスの慈しみ
 青年は自己を捨てきれずに[悲しみながら立ち去り」ますが、その姿はすべて自己愛を芯に自分を「良く」しようとする者の姿です。
 またイエスの眼差しは、そのような「私たち」が自分の誤りに気づいて、彼のもとに立ち返ることを切望する愛の眼差しです。

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