09/11/15 信じる者には マルコ9:14~29



・弟子たちの現実
 主イエスたちが帰ってきてみると、大勢の群衆がおり弟子たちは律法学者たちとイエスの権威について論争していました。彼らは病人から悪霊を追い出すことができなかったために皆の非難の的となっていたのです。これは世における弟子たちの現実です。

・不信仰な世
「ああ、不信仰な世だ。」主イエスは人々の不信仰を強く嘆きます。ちょうど、出エジプト記でモーセが山から下りてきたときに、人々が偶像礼拝をしていた情景を思いおこします。主イエスもまた、神の前に不信仰をさらけ出している人々に対して激して怒り、嘆いているのです。
 「いつまであなたがたにがまんしていなければ・・・」この言葉も主イエスの嘆きです。主は弟子たちと群衆の中に信仰が育つことを切望していました。その主イエスの心の内がハッキリと示されています。

・信じる者には
 主イエスは病人の父親に子供の状態を尋ねます。人の痛み苦しみを聞いて受け止める愛の姿が現れています。しかし父親の不信仰な言葉には再び叱責します。
 「できるものなら、というのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
 実に明快な言葉です。主イエスが切望していたのは、信仰でした。主イエス御自身は栄光の姿を持ち、愛に満ちた神です。その力と権威を導き出すのは、私たちの側の信仰のみです。

・現実の中で信仰を働かせる
 私たちを取り巻いている現実も、人間の力ではどうしようもない悪と悲惨の世界です。この現実を乗り越えるためには是非とも、主イエスの力と権威が必要なのですが、それは私たちの信仰によります。主イエスは「祈り」の必要に触れていますが、私たちも祈りを通して私たちの信仰を強めましょう。

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