2022/11/27 1コリント3:5~9 成長させたのは神

 ・アポロとは?パウロとは?
 先に「肉に属する人」に対して信仰の成人を「霊に属する人」と表現していました。さらに使徒は「霊に属する人」のものの見方を示しています。
 「アポロとは何…パウロとは何…」とあります。コリント教会の人々は、教師たちを過大視していたので、その真の立場と役割を霊的な視点で見るように促しています。

・成長させたのは神
「私が植えて、アポロが水を注ぎ」とあります。パウロが福音宣教によって教会を植え付け、アポロは水を注いで成長を促したということです。それらも現象だけ見れば大切な役割です。しかし、現象に現れない最も大切な存在者を見失ってはならないということです。「成長させたのは神」ということです。
 さらに「植える者と水を注ぐ者は、一つ」とあります。神は成長させてくださるだけではなく、教会の誕生から成長に至るまで、一切の権利と責任をもっておられる唯一の方です。
 
・あなた方は神の畑、神の建物
 「私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑…」とあります。すべて「神の」所有と働きのもとにあるということです。ひとりの神のみが、教会の主であり、働いておられる方であり、報酬と裁きをなす方です。
 私たちもこの神のもとで、植えられ、育てられ、御国での報酬に預かる者たちです。霊的な洞察を明確にして、一人の神のみを恐れ、愛して、一人の神の教会を築いてゆきましょう。  

2022/11/20 Ⅰコリント3:1~4  肉の人と御霊の人

・御霊の人と 肉の人
 パウロは、この箇所で「御霊に属する人」と「肉に属する人」という2つのタイプのクリスチャンについて語っています。「御霊に属する人」とは、福音信仰を通して与えられた御霊がその人の中心的原理となっている人のことです。いわば、大人のクリスチャンです。 
 それに対して「肉に属する人」とは信仰を通して御霊を受けて入るのですが、なおお生まれながらの人のように肉の世界に生きている人のことです。いわば霊的な「幼子」です。

・今でも無理、肉の人
  パウロはコリント宣教したときには、人々は改心して間もなく、世的体質のままだったので、信仰の初歩をしかも平易な語り方で伝えました。「乳を与えて、堅い食物を与えませんでした」とはそのことです。しかし「実は、今でもまだ無理」と手厳しいです。彼ら自身は、自分たちこそ「御霊に属する人」で霊的大人と自認していたのですが、その尊大な鼻を砕いています。「肉に属する人」は、厳しく指摘しなければ気が付かないからです。さらに教会の分派状態も「肉」の結果であることを指摘しています。

・肉の人から御霊の人に
 これは私たちの場合もまったく同様です。私たちもまた信仰を通して御霊を受けているのですが、私たちのうちに働く「肉」の力に翻弄されるのです。そこで自分のうちに働く「肉」の原理を認めて、御霊の人となるべく、「十字架のことば」を真摯に受け止め、御霊の人として絶えず、献身姿勢を保つ必要があるのです。(ローマ8:5~6)

 

2022/11/06 1コリント2:10~13 御霊による啓示

 御霊による啓示
 神の民は「神の知恵」を与えられていますが、それは「御霊によって…啓示」とあります。御霊は旧約聖書では世の終わりに注がれると預言されていましたが、今や、信仰者に与えられています。御霊は、神の霊ですから父の神の「深みにまでおよばれる」とあります。

・神の賜物を知るため
 人間の場合でも、その人の心のうちは、その人自身の「霊」以外には誰も知ることはできません。それと同じように「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません」とあります。
 神は、私たちに御霊を与えて下ったのは「賜ったものを、私たちが知るため」とあります。神は私たち一人一人を愛しておられるので、プライベートに神の愛と賜物を知らせようとしておられるのです。

・御霊のことは御霊によって
 「御霊のことばをもって御霊のことを解く」とあります。御霊の領域は人間には到達も介入もできない世界です。ただ神の御霊のことばに従って解釈し、受け取る以外には方法はないのです。
 私たちはすでに「御霊のことば」として聖書が与えられています。ですから聖書を正しく読むことが、御霊のことを解くための基本的手段です。しかし、さらに自分の思いと高ぶりを砕いて、切に導きを求めるときに、御霊は私にとってのキリストを明瞭に心に照らし出します。

2022/10/30 Ⅰコリント2:6~9 神の知恵 キリスト

 ・「成人」の知恵
 パウロは世の知恵を否定しながらも、「成人の間で、知恵を語る」とします。「成人」とは「十字架のことば」を無条件で受け入れる信仰者のことで、「知恵」とは「神の知恵」です。また同じ「知恵」でもやがて廃れる「世の知恵」とは、全く別種の永遠の真理としての知恵であるとしています。
 
・隠された奥義 神の知恵
「隠された奥義」とは、「神の知恵」は新約に至るまで誰にも知られることがなかったことを示しています。また世の人々には完全に隠されている知恵ということです。主イエス・キリストの十字架の出来事は、何よりの証拠です。キリストこそ「神の知恵」であったのに、世の権力者たちがこぞって十字架に押しやったのです。

・神の知恵 キリスト
 最後にパウロは、イザヤの預言を引用して、「神の知恵」は世の人々には、まったく計り知れない知恵であることを示しています。それはただ「神を愛する者のために、神の備えてくださったもの」なのです。
 主イエス・キリストは「神の知恵」「神の奥義」そのもので、私たちの救いとなり、益となるために定められている方です。私たちは、全面的に「神を愛する」姿勢を正して、その方の素晴らしさに目と耳、さらに心を開きたいと願わされます。