・過越の食事
主イエスは弟子たちに過越の食事の準備をさせましたが、弟子たちが行ってみると神によって聖別された客間が用意されていました。
主イエスはその過越の食事を切望していた事を証し、それが十字架前の最後の食事であること、また未来の神の国での再会を約束する食事であることを示します。
・主の聖餐
主イエスが次に示されたのは、主の聖餐でした。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだ」とみ言葉を語ってから、パンを弟子たちに与えています。ここに十字架と復活という御業の意味が明確にされ、霊的に提供されています。
「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約」とあります。ブドウの杯も、み言葉とともに与えられています。それはパンの場合と同様、見えるみ言葉として提供されています。「新しい契約」とは、律法による旧約ではなく、キリストによる恵みの契約ということです。
・信仰が大切
この聖餐について、カトリック教会では、キリストの体と血が化体したもので、キリストそのものとします。そこでは信仰は軽視され、霊的な意味も失われがちです。
聖書では、パンとブドウの杯は、あくまでも象徴で、それを信仰によって受けることが大切であることを強調しています。信仰によらなければ、ユダのように滅ぶのです。
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