・慈愛の父 慰めの神
聖書の神は厳格な神というイメージがありますが、その本質は「慈愛の父…慰めの神」です。特に私たちキリスト者にとっては、どのような時にも確実で深い慈愛と慰めを与える方です。 「慈愛」とは苦しみ悲しむ者に対して自分でも苦しみ傷んで受け止めるということです。「慰め」とは優しく適切な言葉をかけて相手を癒やすということです。
・父の神に学び、習う
「自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができる」とあります。私たち自身には慈愛も慰めも欠けていても、自分が体験した神の慈愛と慰めを他の人に対して実践できるということです。
私たちは地上の父親の性格と態度を継承しておりますが、 それ以上に霊の父、神の慈愛と慰めを知り、それを自分の子供に、また若い世代に対して実践することが大切です。
・父親の慈愛と慰めの実践
ある心理学者が次のように語っています。「子供は…ほめられた記憶がないのも心の傷になっている可能性があります」と。そうでなくとも地上に生きる人間には、深い心の傷と悲しみがあります。父親たちは、神の慈愛と慰めによって、少しでも癒すことが使命として委ねられているのだと思います。
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